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ゼミでの学びを深める質問力と幹事力について。

こんにちは、さゆちゃむ(@salily1214)です。

多くの人が大学生になると「ゼミ」という学習形態に出会います。

私は、大学院時代にゼミ活動に没頭し、そして今もずっと大学や個人で開催するゼミに関わり続けています。たとえば、早稲田大学のゼミに関わっていたり、マザーハウス副社長の山崎さんが個人で開催する経営ゼミ2期の事務局を務めていたりします。

私にとって「ゼミ」は切っても切り離せない場所です。だからこそ、これから「ゼミ」という場所で学ぶ人に伝えたいことを書いてみます。

それは、研究や自分の成し遂げたいことをゼミを通してかたちにできる人って、ゼミの運営と、他者の学習への貢献度が高いということです。

今日はそれがなぜなのか、貢献とは何かを書いてみたいと思います。

ちなみにこの写真が経営ゼミの様子。本当に遅くまでインプットとアウトプットをしまくっています。


ゼミの貢献とは何か

マザーハウスの山崎さんの主催する経営ゼミに参加したときに、メンバーに「さゆちゃむは頭が切れる」とも言ってもらえたことがありました‥!

なんでだろうと考えてみたのですが、どうやら私の様子にあったようです。そして実は、特別なことは何もしてないのです。

何をしたかというと、

①他者のアウトプットに率先してコメントを出す(質問力)
②メンバーが集まる機会を率先して作る(幹事力)

それくらいなんです。
むしろ貢献ってそれくらいなのですが、その2つだけで、ゼミでの学びが格段に深まるのだなと気づいた最近です。

例として経営ゼミでやっていることをあげてみますね。

①他者のアウトプットに率先してコメントを出す(質問力)

とにかく山崎さんの講義で気になったことは全部質問する。
人の発表でもコメントするし、できなくとも紙で書く。
コメントシートも書けるところまで書ききるつもりで、的はずれなこともあったかもしれないけどみなさんにコメントしました。

とにかくたくさん「出す」って決めただけなのです。

効果

コメントすればするほど、他のゼミ生のやりたい相手の事業のことがわかるようになります。
そうすると、自分のやりたいことをブラッシュアップするときに役立ちます。なぜなら、他のゼミ生から思考カードや探求するための武器をたくさんもらっているからです。(研究も同じです)

そしてコメントしてくる分、相手もコメントし返そう!と思ってくれるので、自分に有益なコメントが沢山きます。

あと、コメントいっぱいしたらめちゃ感謝されます。

②メンバーが集まる機会を率先して作る(幹事力)

とはいえゼミの時間内で得られることには限りがあります。
だからこそ接点を増やす機会を作ることで、ゼミというオフィシャルな場では出にくい別側面の議論の機会を作りやすいです。
山崎ゼミでは1期の新年会の幹事をさせてもらいました。そして今事務局をしています。

効果

ゼミ以外の時間で、普段の発表などでは聞けない話を聞くことで、よりメンバーのやりたいことの理解が深まります。理解が深まれば、さらに自分の知らなかった世界の理解力が高まるので、結果として自分の事業(研究)ブラッシュアップにつながります。(本音の部分がわかるのいいです)

表向きに聞くのは恥ずかしいことも、ここだとこっそり聞くことができます。笑

ゼミで何もできなかった喪失感

ここまで書いてみて「この人昔からこんな人なのか」と思われないために、私の大学院時代の失敗談を書いておきます。

約8年前、私は大学院での研究に2年間集中すると決めました。

私が所属していたゼミは「学習環境デザイン」という分野のゼミでした。しかし私は教育学は教職課程でしか学んでないし、認知科学も発達心理学も学んでないし、教職でとってた教育工学の授業内容もさほど覚えてない(失礼)、素人中の素人でした。

私がお世話になった東大の学際情報学府にある山内研は、当時は8月にしか入試がなかったので、9月になったら合否がでていました。
そこで当時大学4年生の後半は、「M0(エムゼロ)」として、大学卒業までの半年、大学院のゼミに参加させてもらっていました。
単位をほぼ取り終えて、あと卒論をしあげるくらいだったわたしは、やる気だけを引っさげて山内研に参加していたのですが、先輩たちの発表で何が言われているのか

まっっっっったくわからなかった。

ほぼ全部のゼミに出たらなんとかなると思ったけど…

なんともなりませんでした。

無念すぎる。。それどころか、修士1年のときも、1年間毎週ゼミがあったにもかかわらず、多分、ゼミ中に質問したの1回か2回くらいじゃなかっただろうか…(もしかしたら本当にゼロかもしれない‥それくらい怪しい)

先輩たちには「何でもいいから質問しろ」とよく言われていたのですが、わからなすぎて質問すら恥ずかしかったし、もちろん何を質問して良いのかもわからなかったんですね。

なので、「このままだとゼミで全然学習できねえな‥(まじでやばい)」って思ったんです。

だからこそ、自分の学習レベルをあげるためには、そのコミュニティでかわされる知識にもっと触れる必要があった。

そこで、質問やコメントのレベルはすぐに上がらないなと思ったので、別のところで努力するしかない。そう思って「メンバーが集まる機会を率先して作る」ということを始めたのです。

具体的には、学外でのゼミの先生のTA(ティーチングアシスタント)として他大学の授業にかかわらせてもらう機会をつくりました。また、大学院でのプロジェクトもとにかく貢献することで、別の側面からその領域の学習ができる機会をつくっていきました。もちろん、そこでなら聞けることは聞く。

結果、全部自分の学びの蓄積になったことは間違いありません。それが、その後人にコメントする上での土台になっていきました。

また、大学院にいたときも、新歓や謝恩会に加えて、同期会も積極的に幹事をしてきました。

自分で機会をつくることで、環境がよくなって、得ていくものが私にもみんなにも増えていく。もちろん、最も幹事は他者との接点が多いので、得たことはさらに多かったように思います。

▲遠慮なくお互いがアウトプットし合うと、限られた時間でも、良きライバルとして支え合うコミュニティが生まれると思ったのが1期での経験だったな、という1期修了時の写真。

ゼミというコミュニティを活かすために

まとめると、他者に対してアウトプットを惜しみなく行い、足りないところはその足りない知識や経験を埋めるインプット機会をつくる、ということなのだと思います。

ゼミという場を考えるときに重要なポイントとなるのは、ゼミは「共同体」、コミュニティであるということだと思います。

講義をしてくれる先生からの教えを得るだけだったら講義室の講義でいいわけです。

一方ゼミで学ぶということは、コミュニティなので相互作用がある。つまり「学習が個人で成立しない」ということだと思います。だったら、複数で成立できる学習環境を自分で作れば良いわけです。

学習の支え手になってから「自分さえ得られればいいや」という人や、自分でがんばればいいと言う人に出会いますが、そういう人ほど頭打ちになっているように感じます。また、なれ合いになっても意味がない。この塩梅は難しいところですが‥

少なくともゼミは、お互いが学び手として対等だからこそ、活発な相互作用があると、自分も全体の学習レベルもあがります。

というお話でした!

ゼミ、苦しくて楽しいよね。

さゆちゃむ


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