質感メモ

Twitterの自分の「質感」関連ツイートまとめたメモ

「ケミ」も気になるけど「質感」という語の使われ方も気になる、VTuberファンとか聖地巡礼とかの人が使う意味とも少し違う気がする。「現在につねに追憶が含まれている」みたいな今っぽい感覚とも関係ありそうな

「身体性/経験性を伴ったリアリティ」という意味での質感と、「テクスチャ/肌触り」さらに「印象/コンセプト」という意味での質感がある(さらに入り混じってる)? ちゃんと考えると難しそう

「質感」調べてもまだよく分からない謎ワードだ、どこかに解説載ってないかな。現象学事典とか?

同じ「質感」という語で実在性と手ざわりと(自分の)生の実感の話を同時にしてるの、左手で右手に触れたらその瞬間右手に左手が触れ返されてる、みたいな話に思えるんだよな実際…。

ダンス用語に「質感」というのがまずあり、それに画像製作加工の用語としての質感が混ざった上に「クオリティ」「コンセプト」「印象」「存在感」「リアリティ」「キャラ」「実感」あたりの意味が無造作に乗った(アイドル/リアリティ番組の虚実/推し文化等の特性もおそらく要因)、あたりまで考えた

「百合 質感」の用例みると印象とか解像度とは違う奥にある、にわか仕込みのメルロ=ポンティでいうなら「嵩」っぽい使い方なのかなと思うけど本当かはわからない

「巨大感情」に対して「語彙力」は処理側の話で、別にデカくないものも処理能力を意図的に下げれば勝手にデカくなってくれるのだけど、その比率を保つために媒介となる質感/解像度を要求するのかも

たとえばこの本だと「質感」を多感覚的な知覚+時間的相互作用みたいな捉え方をしてるっぽくて、それは現象学の感覚論にも沿ってるのだけど、アイドルが総合芸術であること、サバ番が時間・ステージ(段階)・思い入れの深化といった軸を持つことも「質感」語りと関係ありそう

「質感」で検索するとそもそもまずクオリアに関する議論が出てくるので、その語がどういう経路でサバ番や百合やバーチャルコンテンツのファン界隈に輸入されたか(あるいは全然関係ないのか)を調べたほうがよいのかもしれない

「質感が合う」(訳すなら「テイスト」あたり)は分かるけど、「質感が上がる/下がる」(訳すなら「テンション」「応援しがい」あたり?)の用例まだ見たことないけど本当にある? 推しの実存がダイレクトに推す側の実存みたいな話だ(でも「生きる実感」くらいの用例は確かにあった)

質感や解像度を求める一方で、語彙を失うことで崇めひれ伏すのみというの、つまりは「溢れ」というか「優勝」を欲しているだけで、質感を語彙力(の放棄)で除した溢れに対し丁寧に言葉を加えた豊かさもあるはずだけど、しかしタイパコスパの話も考えると除算の論理はマーケティング思考の産物なのかも

「質感」、量より質みたいな慣用句から数値主義への抵抗、表層/実質の対比からラベルやルッキズム批判、質量・実感・湿度・密室・触感あたりの連想から思い入れや存在の重さ掛替えなさ、感情の浸潤や未練や分かち難さ、独占やクローズドコミュニティ、非視覚的な発出と感受などが語に託されるのでは

表情差分のように感情やコンセプトをコンプすることで人間性を隙間なく立体化させリアリティを享受する、みたいなのが前提のように感じられる「質感」言及に対し、後戻りも欠損を埋めもできないねじれたバイオグラフィへの敬意みたいなのを別の「質感」としてひとまず配置するのだろうか

『記憶する体』のプロローグで出てくる「固有性の圧倒」「記憶が日付を失う過程」「体の複数化」あたりは「質感」言及の対極にあるような感じがなんとなくする。「川が川の動きによって作られていく。同じように、体も経験によって作られていきます。」(p10)

この「質感」はリアリティとか生々しさくらいの意味だろうか、しかし「質感/解像度」「癖/偏見」「生身/理解」みたいな語の対応関係が「演者/ファン」の間にありそうと分かった(輪郭形成の共犯性みたいな?)https://www.youtube.com/watch?v=BSB-KEBWH1M

等速で視聴しても何倍もの情報を得られるというコスパやライフハックとしての「質感」、という話をしたのだっけ

「あれってこういうことだったんだ、というのを後から気づかせ得る色々が内包されていること」を「質感」と呼ぶのも、「いつか懐かしむことをすでに予期している現在」みたいな折り畳まれがある

スマホで撮ったばかりの写真でもすぐに、標準アプリのスライド動作だけでビビッドやドラマティックやセピアへと加工できるの、いかようにも発信や受容を選択できるというよりも、すでに初めからそれら経年/感情/記憶的な奥行きが重ね合わされ折り畳まれているという感覚のほうが強いんじゃないか

「テイスト」は語源的には味わうじゃなく「触れる」だという話も出てきて、「質感」の多くはテイストか(匂いや温度を想起させる)「雰囲気」の言い換えなのだけど、総じて非視覚的な感受であるのは只の鑑賞者/視聴者から一歩踏み越えようとする志向で、つまり「質感」は共犯性の言明なのではと思った



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