メモ

 アプリゲーム「欅のキセキ」(現在は「欅のキセキ/日向のアユミ」)が出た時(2017年10月)の感想、前に誰かに話したのだけど備忘として。自分では最初の数か月無課金でプレイしただけ。

 「ストーリー部分」というのが、例えばサイマジョのMV撮影とか、お見立て会/おもてなし会とか、初の大型ライブ(有明コロシアム)や紅白もあったのかな? がそのまま出てきて、実際に番組や雑誌で語られているエピソードも出てくる。その上で、「おもてなし会の直前、楽屋で緊張するメンバーと……」みたいな会話シーンが入る。つまりリアルとフィクションが綯い交ぜになったまま提供される。大きなイベントだけでなく、例えば「レッスン場での出来事」「グラビア撮影での一幕」みたいなアイドルゲームあるある的な(ほぼ創作と思われる)シーンもある。
 (2017年ごろは実在アイドルの音ゲー以外のアプリゲームって「乃木恋」くらいで、乃木恋は設定上明らかなフィクションだし、2015年結成のグループが2017年にもう「現実と並行してゆく」ことが想像される形式のゲームを出すことも驚きだったと思う)
 もちろんプレイヤーがマネージャーであるはずがないので、例えば握手会で「オレがアドバイスしたおかげで」なんて言うファンはいないけれど、「(ゲームで知ったんだけど)あの時裏ではこんな気持ちだったんだね」「いつかの撮影でこんなことあったんだ」って言われることはおそらくありえたわけで、グループやメンバーのエピソード/記憶ではない、挿入されたフィクションについて多人数から語られることとなった(プレイしていない)当人はどう感じるのか、というのが当時ひじょうに気になった。大きなエピソードなら明白なフィクションになるけど、とても細かい感情レベルの差異であれば特に。また、ドキュメンタリー作品やストーリー本のような「歴史」と扱われそれゆえ批判しうるものであればともかく、「お話じゃん」で一蹴できるゲームの、さらにそれほど重要でもないワンシーンであれば特に。

 このあたりの疑問ってリアリティショーの話にも繋がっていて(2017年の時点でそんなこと考えてもいなかったけど)、テラハの入れ子構造(テラハ内で自分たちの過去の配信回を観る)もまさに「欅のキセキ」の、たった半年ほど前の出来事がゲーム内で「ゲームのエピソードとして」編集され再現される、という奇妙さに通じる。アイドル/恋リア出演者的な存在における「パーソナリティ」とされるものが、噂/真実のような白黒ではなく、グラデーション的なリアリティの濃淡を持つ微細な情報がモザイク状に組まれた形で生成されるのではないか、という感覚ともこのゲームの設計は近い。(上記の通り数か月しかやってないので、その後どうなったのかは分からない)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?