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祖父のベッド

昨年の夏、中国に住む祖母や親戚を訪ねた。

北京空港から飛行機でさらに2時間。中国の北部に位置する吉林省・延吉市がわたしの生まれ故郷である。

その日は母方の祖母の家を尋ね、お土産の羊羹をふるまい、祖母の出してくれたブドウを食べた。

あたたかな日がさす部屋で、母と祖母が楽しそうに話をしている。

母の表情は娘時代に戻ったように見えた。

お母さんが嬉しそう、そんな安心感を覚えたら急な眠気がわたしを襲った。

「なんかちょっと眠い・・・」

祖母がおじいちゃんのベッドを使っていいよと言う。早速スマホを片手に、生前寝たきりになった祖父の部屋へ向かった。

祖父の部屋はベッドと箪笥、光の差し込む大きな窓がある。

ベッドに横たわると、洗い立てのシーツの香りが鼻をかすめた。

天井は太陽の光できらきらと輝いている。

仰向けになり天井を見つめながら、寝たきりになった祖父を想った

彼はここで毎日天井を見上げ、何を考えて過ごしたのだろう。

わたしが日本で仕事に行き、恋人や友達と過ごしているあいだ、祖父は遠く離れた中国で闘病生活をおくった。

どんな気持ちでこの天井を眺めたの?

どうやって最期の時を受け入れたの?

ねぇ、おじいちゃん。

心の中で語りかけても返事はない。

逝くときは寂しくなかっただろうか、何か悔いはなかっただろうか。

祖父のベッドに横になりながら、彼の気持ちに思いを馳せる。

瞳にじんわりとあたたかいものが溜まっていくのを感じながら、そのまま意識が遠のいた。

そのあと結局2時間も寝ていたらしい。

祖父とわたしは重ならない時間と場所を生きた。

わたしは数年ごとに顔を見せる「ほぼ日本人」の孫にすぎなかった。

祖父はどんな風に生き、何を思いながら闘病生活を送ったのだろう。

わたしは彼の人生の多くを見過ごした。

彼がわたしの成長を間近で見ることができなかったように。

祖父はとても寡黙な人だったが、死後に日記や子どもたちへの手紙が見つかっている。それはわたしにとって嬉しい意外性だった。口数は少なくても彼の内面はとても豊かだったのだと知れたからだ。

わたしは27歳になってやっと、祖父母のことや自分が生まれた吉林省のことを知ろうとしている。

聞くことのできなかった祖父のストーリーも、彼の生きた世界も、母や祖母に尋ねていきたい。

・・・

毎朝洗顔をし、顔をまじまじと眺める。

祖父から受け継いだ大きな鼻と小さな唇が今日もわたしの顔に堂々とついていた。

おじいちゃん、ここにいるじゃん。

深く知ることのできなかった祖父は、わたしの体の一部として生きていく。

あの夏、祖父のベッドで眠ることができてよかった。

もういない祖父を一番近くで感じることができたから。


・・・

わたしは父の仕事をきっかけに2歳の時に東京に来ました。祖父母や親戚との思い出は、夏休みや大型連休に中国で過ごした時間がほぼ全てです。特に母方の祖父は一度も日本へ遊びに来ることなく亡くなったので、見せてあげたかったものや一緒に行きたかったところが多く、心のどこかで悔いが残っています。コミュニケーション下手な孫のわたしと寡黙な祖父が初めて心を通わせれた(至極一方的にですが...)のが、祖父のベッドだった気がして、その時の気持ちを書きました。

#つぶやき #エッセイ   #日記 #おじいちゃん



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