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はるか、27歳、歯科衛生士。彼女の夢見る世界とは

「患者さんからいただく感謝の言葉が何よりもうれしい」

まっすぐな瞳でそう呟く彼女に、18歳の頃の冷めた表情はない。

はるか、27歳。高校からの同級生であり友人だ。都内で歯科衛生士として働いている。

「永遠に続く愛なんてないよ」

女子高生に似つかわしくない言葉が、形の良い口から吐き出される。18歳のはるかは極めて冷静で現実的な女の子だった。棘を持つ美しい薔薇のように、惹きつけ、惑わし、躊躇なく刺す。それは彼女なりの学校や社会への反抗のようにも思えた。

無論、彼女だけではない。進学校特有のストレスや、骨の芯まで刷り込まれた学歴至上主義の価値観は、10代のわたしたちを少しずつ蝕んでいた。目の前の「受験」という目標に対峙しながらも、社会の仕組みに疑問や憤りを感じていたのだと思う。

はるかはその中でも大人に物怖じせず、世の中を俯瞰で見る――実年齢よりも大人びた女の子だった。時にその様子は10代特有の思い上がりや期待、エゴ、そんなものを持ち合わせていないようにすら感じた。

彼女は卒業後、大きく変化する。

学生から社会人になる上で誰もが変わる精神的・社会的な成熟性だけではない。彼女を包み込む「空気」そのものが柔らかくなったのである。
16歳で出会ってから10年が経とうとする頃だった。

「はるか、何だか昔より丸くなったよね」「え〜そう?」

そんな小さな変化が、このインタビューを始めるきっかけとなる。

毎日規則正しく電車に乗り、目的地まで運ばれていく会社員たち。自宅で家事や育児に人知れず励む人たち。何をすべきか迷い、道を探している人たち。

人の数だけ人生にドラマがあり、思想や夢がある。だが、有名にでもならない限り、詳しく聞いてくれる人はいない。

世界を変える発明をしたり、伝記に載るような人生を送っていなくても、日々を懸命に過ごし、周囲を少しだけ幸せにしている。わたしの周りにはそんな人が多いと思った。ならば彼らの人生や、変化を形として残す記事があっても良いのではないか?

そんな思いつきで、友人をインタビューすることに決めた。

第一号は、もちろんはるかである。

快く引き受けてくれてありがとう。

・・・

2018年、8月。晩夏の昼下がり。

この日、はるかとわたしはホテルのラウンジへと向かっていた。限定で開催されていた桃づくしのアフタヌーンティーを囲みながら、互いの近い誕生日を祝うためである。

桃はケーキやエクレア、ゼリーに余すことなく使用されていた。その爽やかな香りと舌がとけるような甘さに、わたしたちは感嘆の声をあげる。

はるかは、外見からは想像がつかない程大きな声で笑う。そのたびに栗色の髪が肩を揺らし、白い肌が光沢を放つ。豪快さと美しさは当時から変わらない。

インタビューを始めることを告げると、彼女はすでに準備ができているようだった。品の良い紅茶のカップを置いたのを合図に、今の職業に就いた経緯を尋ねる。

「進路には悩んでいたけど、普通に大学に行くのかなって思ってた。通っていた高校は進学校だし、特進クラスにいたから『大学に行かない人は死ぬ』みたいな考えに取り憑かれていたんだと思う。だから『歯科衛生士』を目指すことを決めたのは自分の中で大きな決断だったよ」

はるかは高校を卒業し、歯科衛生士になる夢を持つ。
それはすなわち、歯科予防・指導、歯科医の診療補助もおこなう「歯」のスペシャリストになるということだった。

「今は衛生士になって本当に良かったと思ってる。医療現場は大変だけど、処置によって結果が返ってくるのがわたしの仕事だから。それが一番のやりがい」

「それと、歯のクリーニングや歯科医のアシスト以外に、患者さんの行動変容を促すのも大切な役割。歯の状態はこうなっていますよ〜って本人に気づかせて、行動を変化させる。だから担当した患者さんの歯が良くなっていくと嬉しいよ」

笑顔を浮かべながら話す彼女に安堵感を覚える。自分の仕事に誇りを持っている人の表情が見て取れたからだ。

「でもね、日本人のオーラルケアは先進国の中でも遅れてる。素敵なスーツを着て大企業で働く会社員も、口の中はケアしてない。仕事が出来て見た目も素敵なのに歯並びが悪かったり、口臭がするのって...もったいないよね」

近年、日本では歯を白くする商品やホワイトニングが人気を博している。だが、白く美しい歯を求める一方で、根本的なオーラルケアへの意識は依然低いらしい。
厚生労働省の「歯科疾患実態調査(※)」によると、30歳以上の約7割は歯周病、もしくはその予備軍だそうだ。

「サイレントキラー」といわれ、気づかないうちに体を蝕んでいく歯周病を、わたしたちは軽く見すぎているのかもしれない。

(※) 平成28年歯科疾患実態調査

症状も形も生え方も、人によって千差万別な「歯」という臓器。患者が口を大きく開けた瞬間から、彼女たち歯のプロフェッショナルの戦いは始まる。

「働いてきて気づいたのは、医療行為は『サービス』じゃなくて、『必ず結果を求められる世界』ってこと。患者さんには正確な治療と、歯の正しい知識を提供したい。失敗が許されないからこそ、自分の実力が不安になるときもあるけどね」

歯科衛生士、3年目。培ったものは知識と経験だけ。

さらなる成長をのぞみながら「自分にできるだろうか?」という不安を時折抱く。

成功か否かの現場で働く彼女にとって、毎日が挑戦と学びの繰り返しだ。

歯科衛生士にとって大切なものは何?そんな質問を彼女に問いかける。

「歯科衛生士は技術職だから、何よりも技術力の高さが大切。だけど腕が良いだけじゃなくて、タフさもないと生き残れない。生死に直結する医療現場では、患者さん相手だけじゃなくてスタッフ同士でも厳しい場面に直面するから」

「大切にしていることは患者さんへの愛情。『治ってほしい』っていう気持ちをもって患者さんと信頼関係を築いていく。そうすると治療もうまく進むの」

確かな成長を遂げる彼女は、そう言うと明るく微笑んだ。

いつも明るい従兄弟がゲイだった

「日本にいる家族は4人。母親と兄、あと大切な猫が2匹。1匹は小さい頃からずっと一緒の真央。もう1匹は元彼と拾ったこもの。フランスに住む叔母夫婦と従兄弟たちも大好きな家族」

家族に転機が訪れたのは、2014年。従兄弟からの告白だった。

「フランスに遊びに行って、従兄弟と2人でお酒を飲んだ夜だった。彼が急に「僕はゲイ。男の人が好きなんだ」って言ったの」

「それは本当に突然で…予想だにしないものだった。思わず口に手を当ててしまったくらい驚いたけど、すぐに全てを理解したよ。こんな良い男にどうして彼女がいないんだろう?って長年疑問だったから」

「わたしはすぐに“I’m totally ok”って伝えた。ゲイであったとしても彼への愛情に変わりはないからね

「従兄弟はとても明るい人。だけど今まで誰にも言えず苦しんできたことは簡単に想像ができてさ。その夜は『話してくれてありがとう』って強くハグをして、互いのベッドに向かったよ。でも全然眠れなかったな」

性的マイノリティの当事者やその家族たちにとって、カミングアウトは双方の問題とされている。「する側」「される側」どちらにも努力と理解が必要だが、何も知らずに告白を受ける側にとっては、まさに青天の霹靂かもしれない。

従兄弟のカミングアウトから6年後。

新年を迎え、人々が新しい年に希望や願いをこめる1月初旬。

家族や友人に見守られながら、はるかの従兄弟は大切な人と結婚式を挙げた。

「結婚式に参加できたのは本当に嬉しかった。家族も友人たちもみんなが幸せそうな顔しててね」

市役所で2人の婚姻が正式に認められた瞬間、従兄弟は大粒の涙を流す。

「その涙を見て、今まで彼が背負ってきたものの大きさを感じた。ああ、今日という日はとてつもなく大きな意味を持つんだなって」

自分のセクシュアリティと他者の認識が違うこと、それを誰にも言えないこと。誓い合った愛が公的に認められた瞬間は、従兄弟とそのパートナーにとって何にも変えがたい幸福な日となった。

・・・

話題は「LGBTには生産性が無い」と発言した議員にうつり、はるかは深いため息をつく。

「彼女の周りにはLGBTの方がいないんだろうね。もし家族や友人にいたらできない発言だから」

口を滑らせた差別発言は、期せずしてだれかを傷つける。傷ついたその人は、だれかの家族であり、だれかの友人だ。「差別」は受けた本人はもちろん、その周りの人間にも悲しみを連鎖させていく。

「でもね、あの発言を日本社会がすごく批判していたのは驚いた。それって日本が少しずつ変わってきている証拠なんだろうね」

前から『多様性』には興味があったけど、従兄弟のことは決定打になった。人種や見た目、性的嗜好で人は測れないってことは誰よりも知っているから

そういってはるかは、今夜もフランスに住む家族へ思いを馳せる。

わたしにとって『家族』はなくてはならないもの。もし1人でも欠けたら絶望しかないな」

人工的な光に溢れた夜の街を眺めながら、独り言のように彼女が呟いた。

思いやりを持った人がいい

「中学生のとき大好きだった幼馴染と、数年前に付き合っていた元彼のことは忘れられない」

過去の恋愛を尋ねると、はるかはそんな本音を明かしてくれた。

「どちらの恋も相手に強く惹かれたし、好きな気持ちで一直線だった。特に元彼は色んなことを教えてくれて、わたしの願いを叶えてくれる人だったの。一緒になる運命ではなかったけど、今では良い思い出だよ」

かつて彼女から聞く恋人の話はどれも熱を帯び、切迫としていた。その度に喜んだり悩ましい顔になったわたしの頭をよぎる。

時に恋は泡沫のように消えていく。過去をおとぎ話のように語る姿から、それらを乗り越えた強さを感じた。

男性の好きなタイプは?と質問をすると、「顔はクリス・エヴァンズ」と即答し、「かっこいいから」と大声で笑う。

「中身でいうと、思いやりを持った人。急な仕事で会えない時でも、気づかったり埋め合わせをしようとしてくれれば良い。それと他人に親切で、食べることや映画を観ることが大好きであってほしいな。どっちも譲れないくらいわたしが大好きなことだから(笑)」

そういって理想の恋人を語る彼女の横顔は明るい。求めるものを饒舌に話す表情は、恋を重ねてきた女性のそれだった。

差別やヘイトがない社会を作るのは私たち

ここまで屈託無く話してくれたはるかに、これからの夢を尋ねてみる。

「仕事では衛生士としてプロを目指すのが夢。あとは短期間でも良いから海外で住んでみたい。世界中こんなにたくさんの国があるんだから、生まれた国が自分に合うなんて限らないでしょ」

「それと、これは夢というか願いなんだけど....いつか世界中からあらゆる差別やヘイトが無くなって欲しい

昔から差別や人権問題に興味をもち、ゲイの従兄弟がいる彼女にとって、それは切実な願いだった。

「17歳で初めてフランスに行った時、差別や孤独を感じたの。訪ねた叔母家族の住む街にはアジア人がいなかったから、歩いてるだけでジロジロ見られるし、お店に入れば後ろから見張るために店員がついてきた」

「その時は拙い英語でしかコミュニケーションが取れなかったから、みるみる自信がなくなっちゃってね。でも従兄弟に励まされて開き直って、超ミニスカ履いたり思いっきり日本人っぽい格好して、逆に注目されることを楽しもう!って考えるようにした」

「今でこそフランスにもアジア人が増えてるからジロジロ見られることは減ったけど、自分が感じたからこそ差別される辛さや孤独はよくわかる。頑張ってもうまくいかないこともね」

「日本でも外国の方がコンビニやお店で働いているのを見ると本当に立派だなって思う。こんな複雑なサービスが求められる日本で、お客さんの要求に応えているんだから。なのに『カタコトの日本語だ』って笑い者にするのはおかしい」

昨今、右肩上がりに増えている外国人技能実習生。つい最近、あるバラエティ番組で芸能人がコンビニで働く外国人労働者を嘲笑するような発言をした。それを面白がったスタジオの空気とは対照的に、世論は番組を強く批判。ネットは大炎上した。

「この世には差別が残っているし、自分と異なるものを受け入れられない人たちもいる。もっと多用的な社会になると良いな

人手不足に悩む我が国と、働き口を求めて来る外国人労働者。これからの日本社会は、今までよりも一層「共生」と「理解」に重きを置くべきなのかもしれない。

「まあ、これからの社会を作っていくのはわたしたち。しっかりしないとね」

彼女は静かに微笑み、そう述べた。

・・・

多くを語ってくれたはるかに、最後の質問をぶつける。

じゃあ、人生で一番大切なものは?

一呼吸をおいた後、彼女はハッキリと答えた。

「お金よりも愛情。ちょっとした愛情を持って接すれば、世界は変わるかもって信じているから

感動でじーんとしているわたしを横目に、はるかは「話しすぎたな〜」と伸びをする。

正確な判断が必要とされ、多くの人に感謝される職場環境。

毎年尋ねるフランスの家族。従兄弟のカミングアウト。

慕い、支えとなった恋人の存在。

様々なものが彼女の中で光のように弾け、影響を与えた。

彼女は変わった。

10年という歳月は1人の人間に作用する十分な期間だったのだ。

永遠に続く愛なんてないよ

冷ややかな目でそう呟いた少女は、愛情の力を信じる美しく強い女性へと変化した。

棘を持った薔薇は、少しずつその花弁を開いていく。

10年、20年、30年――。これから彼女はどう変化していくのだろう。

はるか、27歳。多様性豊かな世界を求める歯科衛生士。

彼女は今日も人体において最も硬い「歯」に向き合い続ける。

いつか世界に「差別やヘイト」が無くなることを夢見ながら。


はるかのおすすめ 
映画「ビフォア」シリーズ

取材させてもらった人物にお気に入りのものを聞くコーナー。はるかはインタビューでも言っていたように、大好きな「映画」から「ビフォア」シリーズを選んでくれました。本作は『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』『ビフォア・サンセット』『ビフォア・ミッドナイト』からなる18年にも及ぶ恋愛物語。
「人生に迷いを感じた時に出会った本作は、簡単には説明できないほど思い入れが強い」そうです。

#インタビュー #友人

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