自分の心を大切に生きること
学生時代、帰国子女のクラスメイトが「I LOVE ME」というキーホルダーをペンケースにつけていた。その主張の思いきりの良さに「これいいね」と褒めたことがある。
すると彼女は長い髪を掻き上げながら、「だって自分のこと大好きだもん」と何でもないように答えた。まるで「朝食はパンだった」と言うかのように。
「自分が大好き」と答えられる快活さ、"I LOVE ME"と世界に主張できる度胸。すごくかっこいい。これが帰国子女の眩しさなのか。
ふとそんなことを思い出す。仕事で辛いことがあった翌日だった。
機嫌が悪かった上司からのとばっちり、とまでは言い難いが、結構な言い方をされたわたしは、絵に描いたように落ち込んでいた。
上司も虫の居所が悪かったんだろう、きっと悪気は無いんだろう、そんな風に自分の中で収めようとしていた気持ちを、「I LOVE MEの彼女」がどんどんと叩き続ける。
「ちょっと。嫌なことには嫌って言いなよ。」
黙っていて欲しかった。大人になると我慢しないといけない時もあるんだよ。
誰が決めたか分からないそんな理屈とは裏腹に、心がペリペリと剥がれていく。
一体誰のために生きていて、何のために我慢しているの?
涙がゆっくりと頰を伝った。
感情のままに人に当たる上司と、その行為に「きっと理由がある」と考えこむわたし。
人は自分のものさしの範疇を超えた行動をされた時、その理由を探るのだと思う。
あなたが平和主義者でも、相手は獲物を狙う捕食者なのかもしれない。
平和主義があなたの特性のように、捕食者もまた、それが彼らの特性なのだ。
だから無理に庇ったり、彼らの行動に意味を見つけようとする必要は無い。
相手が相手なりの価値観に乗っ取り刀を振り回すのなら、こちらは盾を持とう。
どの世界にも相手を傷つけようとする人はいて、どうしても相入れない人もいる。
しかし、私たちには選択する自由がある。脳と肉体を存分に使って、本当に苦手なものからは素早く遠ざかろう。
多くのことに振り回されて忘れがちだが、我々の行動軸は「自分自身」なのだから。
人の感情や行動に振り回されることのない、確固たる自分の意思を持とう。
最初は難しいが、小さな振る舞いから変えるのだ。
苦笑いや間を取るためのうなずきをやめて、「私の心はどう感じている?」と自分に問いかけよう。
あなたが自分の意思を大切にできなければ、誰もあなたの意思を尊重しない。
「それに今気づいたの?遅すぎね。」
I LOVE MEの彼女はそうぼやく。
本当にその通りだ。27才。ここまで気づくのに随分と時間がかかってしまった。
***
誰かのために心をくだき、自分を後回しにしがちなあなたへ。
どうか自分の心を大切に生きて欲しい。
「我慢する」のではなく「どう伝えるか」にフォーカスしてみようじゃないか。わたしも一緒に頑張るから。
不安を感じたら、"I LOVE ME"とそっと唱えよう。
あなたはあなたのことが大好きなはずだから。
いただいたサポートはフリーランス として働く上で足しにします。本当にありがとうございます。