考えても考えなくてもお迎えはくる―『「長生き時代」を生きる 老・病・死の不安をどう乗り越えるか』[読書ノート 03]

人は誰でもやがて老いる。そして必ず死ぬ。

当たり前の事実で知ってはいることだけど、その「誰でも」に自分や大切な人が入ることは考えたくない。そんな感情に気付かされた。

人の生死を医療のコントロールのもとにおいていいのか。
すでに高齢でかつ医師でもある人から淡々と発せられた問いかけに改めて、考えさせられた。

どう老いるか、どう死にたいか。

自分の思うようにタイミングも方法も選べないけれど、どう受け止めるかは自分で決められる。

これまでの医学は若い人の医学だったという言葉が印象に残った。

この先まだ長い患者さんなら、患者さんの死=失敗という捉えかたでも大きな問題はない。でも、年をとれば誰だって病気や不調は抱えているものだし、80歳になれば半分は亡くなる。そんななかで、本人に苦しい思いをさせてまで、医療技術を駆使して命を引き延ばそうとすることが、果たして本人にとって幸せなことなのか。

その人らしく人生に幕を引けるように、病への対処のしかたも一人ひとり違ってもいいのではないか。

でも、認知症になっていたら本人がそんな判断を下せない。たとえ簡単なことでも医療行為ならば、目の前で苦しんでいる人がいても、介護士さんには手を出すことができない。胃から栄養をとるための処置をするかどうかも、人によって違うと、どこで線引きをするのかが難しくなる。

考えるべきことがたくさんあるのだということを知った。

さすがにまだ自分のこととしては考えられないけれども、自分の親にはもう、老いの問題が身近なものになり始めているような気がする。

完全な健康体とは言えないまでも、自立して生きていける期間を長くするには。人間らしく終わりを迎えるにはどうしたらいいのか。
枯れていく時間をどう過ごしたいか。

まだ何だか、タブーの話題のようでいて触れられないけれども、元気なうちに親ともそんな話をしておきたい。きっと、お互いにとって、それが良いことだと思うから。


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本多小百合

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