叱る、の依存性。

子育てしていると叱る(というか最後は感情的に怒る)場面が毎日のように出てくる。毎日毎回叱らずに日々を過ごそうと心に誓うのに、その5分後には声を張り上げてるんだから、救いようがない、、、。

でも、この記事では、叱るって言うほど効果ないですよ。それどころか副作用ありますよ。と私の心にナイフのように突き刺さる有難い言葉を述べられている。うう、胸が痛い。。。

子育てや教育において、どうも「叱る」という行為の効果や影響力がその実力よりも過大評価され過ぎているように私には思えています。(中略)叱るという行為は、世間一般に考えられているほどの効果はありません。そして好ましくない副作用も多い取扱注意な対応かと思います。

ここでは、叱るとはこう定義付けされています。

叱るとは何か?について整理しておきましょう。いろいろと考え方はあるかと思いますが、ここでは「何らかのネガティブな感情体験を与えることで相手をコントロールしようとすること」という意味で使いたいかと思います。ネガティブな感情とは、恐れや不安や恐怖、苦痛などです。

えー?そうかなあ?と一瞬思ったのですが、

「そんなことはない!相手にネガティブな感情を与えなくても叱ることはできる。」と思われる方もおられるかもしれません。ですがそうでしょうか?相手の行動に影響を与えコントロールしようとする行為には「指示する」「注意する」「説明する」「説得する」「(問題を)指摘する」「宥める」「指導する」などたくさんの言葉たちがあります。そういった言葉ではなくて敢えて「叱る」という行為でないといけない場合に、本質的な違いは相手の「感情体験」にあるのではないでしょうか。ネガティブな感情を与える必要がないなら、そもそも叱る必要がないということになります。

と私に反論を与えません。おっしゃる通り。だって、私、叱ってる時、顔怖いと思うもん。それだけでも既にネガティブ。

さらに、叱ると怒るの違いについても述べられています。

「怒るは駄目だけれど、叱るは必要」という、子育て論や教育論でよく言われる説明についても私は懐疑的です。よく言って「怒るは論外、叱るは怒るよりはましだけれど効果が薄い。そしてどちらも副作用が強い。」という感じかと思います。ネガティブな感情を与えてコントロールするという意味ではそう大きな違いはないかと思います。

もはや、ぐうの音もでない。なんとなく怒るのダメだけど叱るのは必要だよねと思ってた。もう、ここで読み進めるのに一息必要なくらいダメージ食らう私。

で、ここから叱るにはあまり効果がないこと。また効果が薄いのになぜか、それが最も効果的な方法であると誤解されてしまうことが多いことについて説明が始まります。

結論としては、叱るという行為が最も効果的であるかのように感じられてしまあのかについて、それはその即効性に大きな原因があるからと説明されています。

叱る、つまりネガティブな感情を与える行為は短期的かつ即効性の高い変化を起こせます。つまり、叱ったらとりあえずその場では何らかの行動をやめたり、始めたりしてくれるわけです。そのため、叱るという行為には高い「効果」があるような誤解が生まれます。

たしかに。走ったらダメとかご飯中にオモチャで遊ぶなとか叱れば(私としてはダメな理由も付けて都度説明してるつもり)行動はやめてくれる。だから効果あると思ってた。けど、なんとそれは苦痛からの逃避なだけだそうだ。

しかしながら、叱るが引き起こす行為は単なる「苦痛からの逃避」に過ぎません。未学習も誤学習も何も解決していません。だから、叱られた人はまた同じことを繰り返します。即効性はあるが解決にはなっていないわけです。

おっしゃる通りで、この辺で私の心は瀕死。可愛い我が子は私の言葉を聞いて一旦座ってご飯を食べているが、目を話すと箸の代わりにオモチャが握られている。全く効果ないじゃん(笑)しかも、この叱るという行為。嗜癖性や依存性が存在している、つまり癖になってしまうとのこと。理由としては2つ。

1つ目は、即効性が低くなることから起きます。これは叱られる方に起きる耐性とも呼べる変化によるもので、今までだったら行動をやめたり、起こしたりしてくれていたことがだんだんしてくれなくなるわけです。そうなると、より強いネガティブな感情を与えなくてはいけなくなります。どんどん叱るという行為がエスカレートするわけです。

で、二つ目。

相手にネガティブな感情を与えてコントロールするという行為には、行為をする側に心理的な充足感を与えてしまう側面があります。言い換えるなら気持ちよくなってしまうということです。特に相手が殊勝に頭を垂れ反省した様子を見せてくれたりなんかしたら効果テキメンです。

で、叱れば叱るほどそれは嗜癖化していき、依存的な状況を生み出してしまうとのこと。なんか、もう、わかり過ぎて瀕死×2。

しかもそれによりこの叱るという行為を正当化したいというニーズが生まれるらしい。例えば「本当は叱りたくなんかない。この子の為に心を鬼にして叱っている。」とか。そして社会的にもそれが良しとされてるもんだから、かくして、叱るという行為は行動問題への最適解であり、それをしない場合は育児や教育の怠慢であるという認識が浸透していくとのこと。私もこれだ。わかり過ぎて瀕死×3。

実際叱るにそこまでの効果はありません。叱るという行為は、主に叱る側のニーズを満たすための行為であるということを自覚する必要があります。つまり、叱りたいから叱っているか、目の前の即時的な変化の為に叱っているだけで、本質的な問題の解決のために叱っているわけでないわけです。

これ、電車の中で読んだのですが、思い当たることが多過ぎて、もはや虫の息の私。じゃあ、どうしたらいいんだ?と悩む私に救いの手らしきお言葉が、、、

「叱るは問題解決には効果が薄い」であり、「叱るは簡単に依存化する」ということです。叱るに対する依存状態が長期化すると、どんどんエスカレートして暴言化したり暴力的になったりしてしまいます。これは誰にでも簡単に起きてしまう、普遍的な現象です。だから叱るが常態化することを絶対に正当化してはいけないと思うのです。大事なのは、そもそも叱らないといけない状況を減らすために何ができるかであり、その為の手立てや発想をどれだけ豊かに持ち合わせているかということになります。

そもそも叱らないといけない状況を減らすために何ができるか、その手立てや発想をどれだけ豊かに持ち合わせているか!!!!!神の言うことは最も過ぎて、苦しいですね。でも、思い当たる節はあるし、そう考えると仕事と一緒な気がする。仕事では起きて欲しくない事象の為にリスクマネジメントとして出来るだけ事前に手を打っておくし、万が一起きたとして、相手を叱るのではなく(心では毒づくが笑笑)、こちら側で対応できうる手をとにかく打って最小限の損害に抑えるもんなあ。あ、いや、それにしてもリスクの多すぎる仕事相手だな、、、。

ただ、今回の記事で叱るの依存性は本当に学びになった。まずはこの部分を意識できただけでも良かったのかもかもしれない。じゃなきゃ、未だに怒るはダメだけど叱るはOKとか思ってたかも。後は仕組み化かあ。なかなか難しい相手だけど、株式会社子育て社長(夫副社長)として、リスクマネジメント的に叱らない仕組みを考える、という視点で子育てに取り組んでいきたい。

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