そんなことより

「がぶり寄りではない」(佐藤文香『そんなことよりキスだった』より)

12月25日発売、佐藤文香著『そんなことよりキスだった』から4篇を公開しています! 笑える。切ない。少しヘン!?下心満載!言葉遊びを少々加えた恋愛小説30景!! メガネで天パー。前向きで目立ちたがりな佐藤さんは、恋しかしてこなかった。 パワフルにあたって砕け、幾重もの恋がめぐる…。 ★装画は同じく1985年生まれの漫画家山本さほさんが担当★

がぶり寄りではない


平塚を誘うことには成功した。
私はすでにはやめの夕食を食べてはいたが、もう一杯くらいは飲める。
平塚の家の近くの日本酒の店で、いつものように他愛ない話をした。
出雲の天穏を飲み、牛蒡豆腐とマテ貝の紹興酒蒸しを食べた。
ごちそうさまでしたと店を出て、このまま平塚の部屋に入ろうと思った。
部屋に入れば平塚もそういう気分になるのではないかと思った。

よし、今から君の部屋を見に行くかと言ったら、いやいや、と言う。
(前はこういうとき、平塚から誘ったじゃないか)
トイレに行きたくなったと言ったら、店でしてくればよかったじゃない、と言う。
(前はこういうとき、ちょっと性欲が湧いたなぁとか言ったじゃないか)
水が飲みたいと言ったら、お茶しかない、と言う。
(前はこういうとき、手を握ってきたじゃないか)
それでも部屋に入れば平塚もそういう気分になるのではないかと思った。

おしっこがもれるしお茶でいいからと言って、平塚の部屋に入った。
ユニットバスに行っておしっこをしたらトイレットペーパーがなかったので、トイレに座ったままドアを開けてドアの外にあるトイレットペーパーをとって拭いた。
トイレットペーパーがなかったから座ったままドアを開けてドアの外にあるトイレットペーパーをとって拭いたと言ったら、そういうこともありますと言われた。
君はまだ、性欲は湧いていないのか。

豪華な本を見せてあげましょうかと言われた。
豪華に装幀し直された『悪の華』だった。
私は豪華な本より平塚の裸が見たい。
お茶を注いでくれたので飲んだ。
私はお茶より平塚のアレが飲みたい。
平塚の腹をつついたら、露骨に嫌な顔をする。
じゃあ帰るよと言って靴を履いたら、やれやれといった様子で平塚が玄関まで送りに来た。
平塚が少し向こうを向いた瞬間に抱きついてみたが、「がぶり寄り! がぶり寄り!」と突きはなされた。
君、それはがぶり寄りではない。

伸び上がってキスを迫ったが避けられた。
ほっぺでいいからと言ったのにそれもダメだという。
私は傷ついた。
平塚だけは私のことを嫌いにならないでいてくれると思ったのに。
もう私に性欲が湧かない体質になってしまったのか。
私のアシンメトリーな髪型がいけないのか。
スカーレット・ヨハンソン似の彼女でもできたのか。
それとも、私に彼氏がいるからいけないのか。
私に彼氏がいるくらい日常茶飯事ではないか。
私は平塚の手の甲にキスをした。
私は悲しい顔をした。
私はごめんと言って、部屋を出た。
タクシーを拾おうとしたらパトカーだったと平塚にLINEした。
パトカーならタダじゃんと返事がきた。
パトカーに乗って帰るよ。
彼氏のもとに。

佐藤文香(さとう・あやか)
1985年兵庫県生まれ。池田澄子に師事。第2回芝不器男俳句新人賞にて対馬康子奨励賞受賞。アキヤマ香「ぼくらの17-ON!」①~④(双葉社)の俳句協力。句集『海藻標本』(宗左近俳句大賞受賞)、『君に目があり見開かれ』。詩集『新しい音楽をおしえて』。共著『新撰21』、編著『俳句を遊べ!』、『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳②生と夢』、『天の川銀河発電所 Born after1968 現代俳句ガイドブック』など。

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