『CIVILIAN』という絶望の中の希望

絶望。
人によってその定義は違うが、昔のわたしにとっては毎日が絶望の連続だった。

わたしは、決して性格の明るい人間ではない。
どちらかと言えば根暗。暗い性格を持ち合わせていると自分では思う。
結婚、出産を経て少しはマシになったような気もするが、今でも時折心の中がタールのように粘ついた暗い感情でいっぱいになることがある。

そういう時、わたしは音楽に救いを求める。
特に『CIVILIAN』の楽曲を聴くことにより、今を繋いでここまで来た。

『CIVILIAN』は日本のロックバンド。
ギターボーカルのコヤマヒデカズ、ベースの有田清幸、ドラムの純市とで構成されている3ピースバンドである。
わたしは前身である『Lyu:Lyu』時代からのファンで、当時から彼らの生み落とす音楽を支持してきた。

わたしは誰かに好きな音楽を聞かれると『CIVILIAN』と答えるが、殆どの人は『CIVILIAN』を知らない。
「どんな音楽?」という当然やってくる次の問いに、わたしはつい「暗い曲だよ」と答えてしまう。
しかしそれは表層的に見た『CIVILIAN』であって、その本質は暗さにはないとわたしは本当は思っている。

けれども、本当に思っていることは、言いにくい。
『CIVILIAN』の音楽は「絶望の中の希望」、だなんて。
ちょっと恥ずかしくて、シラフでは言えそうにもない。

『CIVILIAN』の楽曲はメロディもリズムもすべてが好きだが、やはりギターボーカルであるコヤマさんが紡ぐ歌詞を挙げなくてはお話にならないだろう。
生きたいだとか死にたいだとか、生死にまつわる歌詞も多い。
自分を否定するような歌詞や、心を抉るような歌詞も多い。

しかしそれは、すべて伏線である。
本当に伝えたいことは、そこから派生する自分や誰かを、世界を信じたい想いや、普段は見えないようなほんの一筋の希望だとわたしは思っている。

『CIVILIAN』の絶望を描く歌詞は、普段わたしが心の中で思っていることに非常に近い。
絶望を描く歌詞、というのは言い過ぎかもしれないが、しかしそれが一番しっくり来てしまう。
負の感情。マイナスの連鎖。抜け出せない日々。
『CIVILIAN』の歌詞はそれらを包み隠すことは一切せず、よく見ろと言わんばかりに目の前に突きつける。
それだけであれば、本当に苦しく、逃げ出したくなる。

しかし『CIVILIAN』は絶望をまざまざと見せつけ、叩き落として、それから救いの手を伸ばす。
それはわたしにとっての救世主、まさに「メシア」(Lyu:Lyu名義のアルバムの中の一曲)である。

『CIVILIAN』のやり方は、正直、ちょっとずるい。
だからこそ、わたしは『CIVILIAN』が大好きで、『CIVILIAN』に何度も救われてきたのだ。

絶望の中に希望を見つけることは、ある種の麻薬のようにも感じられる。
もうダメだ、というときに見せられた希望ほど、神々しく崇拝すべきものはない。
そういう意味では、もうわたしは立派な『CIVILIAN』中毒だ。
『CIVILIAN』の奏でる音楽がなくては、生きてはいけない。

そしてそろそろ、スピーカーから流れ出る音楽だけでは物足りなくなってきた。
『Lyu:Lyu』時代のライブは何度か足を運んだが、『CIVILIAN』のライブにはまだ行ったことがない。
やはり、ライブで汗と涙を流してこその音楽、『CIVILIAN』だと思う。
近いうちに必ずや、『CIVILIAN』の音楽を全身に浴びたい。
生きるためにそれは必要な行為なのだと、わたしの中の希望が囁いている。


CIVILIAN オフィシャルサイト
http://civi-l-ian.com/


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