2009年

 10年ぶり? ホントに? 自分で言っておいてそんなに久しぶりだっけ?と感じた。今日のNHKさいたまの「さいたま~ず金曜日」で「大分と対戦するのは10年ぶり」と言った後で、岩武克弥が大分ユース時代、レッズユースの選手に対して「トップチームは大分のホームでずっとレッズに負けてないから」と自慢していた、という話を披露したのだが、岩武が大分ユースにいたのって10年前だっけ? んな訳ないな。それじゃ背番号と同じ28歳じゃん。

 などと局からの帰り道、自分が口走ったことの矛盾に気がついた。そう言えば興梠慎三のチャントが初めて歌われたのって、アウェイの大分戦じゃなかったっけ? だとしたら2013年だから岩武がユースにいたころと一致する。そんなことを車の中で考えながら帰宅し、調べてわかった。やはり大分と前回J1で対戦したのは2013年だった。その前はたしかに2009年だった。公共の電波で「10年ぶり」などと言ってしまったことは取り返しがつかないが、何でそんなふうに思ってしまったのだろう、と考えた。

 やはり2009年の試合がすごく印象に残っているせいかもしれない。非常に荒れたピッチで、高原直泰が試合後に「僕らはサンドサッカーの選手じゃない」と語ったように、ボールを蹴れば、あるいは走れば砂が舞い上がるような状態だった。当時はフィンケ監督によるパスサッカーがチーム戦術だったが、それはまったく機能しなかった。0-0のまま時間は進み、スコアレスドローでも仕方がないか、と思っていたら終盤、セットプレーから大分の深谷友基にヘディングシュートを決められ0-1で負けた。その後、大分は降格したから、このときの順位も最下位かそれに近かったはずで、そういうチームに負けたということでショックだった。

 さらに、それを皮切りにレッズはリーグ戦7連敗を喫してしまう。それまでは首位に浮上したこともあり、優勝争いを形成していく後半戦の始まりだったのだが、つまずいたどころか落とし穴にはまって、ずっと滑り落ちていったような感覚だった。そのことと、大分がその年に降格したことが結びつき、これがJ1最後の対戦、というふうに記憶に刻みつけられてしまったのかしれない。自分は古いことをよく覚えている半面、正確さに欠けるところがあると自覚しているのだから、あやしいときには「久しぶり」と言っておけばよかったのに、よほど「2009年」が印象深かったのだろう。

 ただし現在在籍している選手で、その試合に出ていたのは阿部勇樹だけだ。その後の2013年の試合(2-2)に出場した選手で現在も在籍しているのは興梠を始め少なくないが、1シーズンだけなのだから「あそこでずっと勝ってないな」という意識はないだろう。サービス精神の旺盛な選手だったら、「今度こそ勝って悪い流れにピリオドを打ちたい」と言うかもしれないが、そもそも本人が悪い流れとは思っていないはずだ。それよりもACLのアウェイから帰ってまもなくまたJリーグのアウェイ、というのは5月のブリーラム~名古屋と同じような順番だ。それと同じ轍を踏まないことの方がはるかに肝に銘じられているはず。

 さて大槻監督はどういうメンバーをチョイスし、どういう順番で使ってくるか。それが一番の楽しみだ。

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