清風

僕の事務所「清風庵」というのは、2005年に埼玉新聞社を辞め、独立した時に付けた名前だ。個人で仕事を始めるからと言って、別に事務所を名乗る必要はなかったのだが、どうしようか考えているうちに、「清風」という言葉が思い浮かんだ。そのころ数年、自分の周りで「清々しくない」「潔くない」「力まかせ」的なことがずっと起こっていたので、いいかげんにそれを吹き飛ばしたい、という思いがあったのだろう。自分の名前の一文字も使っているし、「清風」というのはいいんじゃないか、と考えた。

そこに何を加えるか悩んだ。「清風会」…政治団体みたいだ。「清風企画」…うさんくさい。「清風亭」…日本料理屋か落語家か。「清風砦」はどうだ。梁山泊みたいでカッコいい。「せいふうさい」と読めばいい。…だが、ちょっと戦闘的過ぎるかも。必要以上に波風を立てるのは得策ではない。それでなくても行動で波風立て気味なのに(当時は)。

考えているうちに「清風」は「say」「who」と読めることに気がついた。これでできないか。すぐに思いついたのは「so」だ。「荘」を当てればアパートみたいだが事務所の名前としては悪くない。「清風荘」に決まりかけた。だが、まてよ。英語にすると「say who so」になる。「who say so」なら「誰がそう言うんだ?(俺が反論してやる)」みたいな意味として通るけど「say who so」だと、どうなるんだ?「言えよ、誰がそうなんだ」みたいな意味になるのか?変だろ。かと言って「風清荘」は変だ。諦めた。

そして、呻吟したあげくに「庵」を思いついた。何だかノンビリした感じで、せかせかしがちな自分を戒めるのにちょうどいい。甘味処か蕎麦屋みたいだが、看板を上げて商売するわけでもない。「庵」が気に入ったので英語の意味を持たせることにはこだわらなかった。ホームページのURLやメールアドレスを「saywhoand」としたのは一抹の未練だが。てなわけで、3日間ぐらいで独立後の事務所名が決まった。

名刺を見ると誰でも「そば屋か甘味処みたいですね」と言う。それを狙ったわけではないが、初対面の相手には「つかみトーク」のネタとしてちょうど良い事務所名だったかもしれない。会社勤めのころは「清尾(せいお)」という名字そのものが「珍しいお名前ですね」「どちらのご出身ですか」と、会話のきっかけだった。むろん、それも狙ったわけではないが、ずいぶん役に立った。2008年に、人をきちんと雇用するために株式会社にしたが、社名は替えなかった。

さて還暦前後から、高校時代の友人と会う機会が急に増えた。初再会(?)のときも名刺を交換して、いつもの会話をひとしきりやって、昔話に入るのだが、先日そのうちの一人から手紙をもらった。何だろうと開けてみると、写真が1枚、何かのコピーが1枚、直筆のメッセージが1枚入っていた。メッセージの内容はというと、彼の通っているスポーツジムの玄関に理事長の奥様の書が飾ってあり、それが毎月変わり、禅語が多いので彼はいつもその言葉が勉強になっているのだという。その6月の書が「万古清風(ばんこせいふう)」という言葉だそうで、これは清尾に知らせなければ、と写真に撮り、言葉の意味の説明も付けて送ってくれた次第だ。

「万古清風」というのは、「千古万古、清風凜凜地」という句が元になっているそうで、「はるかな昔から折りに触れて風は吹き渡り、人々の心と調和して凜とした気分を与えてくれた」ということらしい。さらに風というのは太古の昔も今も変わらないもので、同様に真理も常に変わることなく時代をはるかに越えてあり続けるものだ、という意味を導き出せる。

なるほどなあ。去年ぐらいから、仕事の環境で気分良く物事が進まないことが多く、やや鬱々とした日を送っていたのだが、自分の周りのちょっとした嫌な出来事など(自分にとっては「ちょっとした」ぐらいではなかったのだが)、万古千古から吹いている風は同じなんだぞと思うと、取るに足りないことなのかもしれないなあ、と思った。我ながら単純だけど、良い言葉だなあ。あ、うちの事務所の名前か。

命名は偶然だったけど、これからもう少し悠然と構えるか。わざわざ送ってくれた友に感謝している。ちなみに彼は地元で製麺所と、その麺を提供する飲食店を数店経営しており、彼の方が「~庵」に向きそうな仕事なのだが。





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