あの日に札幌出張

 9月5日(水)の夜、志水博史(仮名)から電話がかかってきた。
「いま札幌にいる。11月10日の店を下見しておくよ」
 11月10日(土)とは、Jリーグ札幌vs浦和戦のある日。試合は14時からで日帰り可能なのだが、おそらく多くのファン・サポーター、並びにメディア関係者が、札幌に一泊することだろう。僕もその予定だった。
 志水とは何の打ち合わせもしていなかったが、試合の後は札幌で一緒に飲むもの、と決めつけていたらしい。その店を現地で下見し、予約もしておく、ということだった。

 もちろん、わざわざ店の予約のために札幌まで行くわけはなく、仕事の出張で行ったついでだ。志水は全国ネットの会社のシステムエンジニアをしており、各地に顧客を持っている。設備の補修や定期メンテナンスのため毎月のようにあちこち出張している。どういうわけかJリーグの浦和レッズ戦がアウェイで行われるとき、その近辺に出張することが少なくない。あれは決して天の配剤ではないはずだ。

 僕に否やはない。彼の店選びのセンスに任せて電話を切ると、2か月も先の話なので、そのことは頭から消えていた。
 翌朝、いつものように5時半ごろ目が覚めてテレビのスイッチを入れると、画面の左側に青く太い帯が入っており、「北海道で地震」の文字。さすがに北海道が震源だと、浦和で揺れることはないようで、全く気が付かなかった。3.11以来、日本中が地震には敏感になっているが、報道の様子では決しておおげさではなく、現地の被害は甚大のようだった。
 しばらくテレビに見入っていると、札幌市内からのリポート画面になった。リポーターが街の様子を説明しているとき、また大きな揺れがあり、それが生で伝わってきた。
 北海道に知り合いは何人かいる。そのほとんどが札幌在住で、地震による直接の大きな被害は札幌にはなさそうだった(清田区の液状化はまだ報道されていなかった)。停電しているらしいから不便この上ないだろうが、これから一日が始まるところだから、とりあえず暗闇の怖さはないだろう。そのとき、頭に浮かんだ。
「あ、博史!」
 出張先で災害に見舞われ、交通機関はストップ、そして停電。ゆうべはホテルに泊まったのだろうが、大丈夫だったのだろうか。
 こんなとき電話するのは避けた方がいいだろう。「博史のいたところは大丈夫だったのか?」とショートメッセージを送るにとどめた。だいぶ経って「すごい揺れでしたが大丈夫です」と返信が来た。とりあえずは良かった。

 もっといろいろと聞きたかった。食べ物などはどうしているのか。今夜の宿は。出張ということだが、札幌に会社の支店や営業所はあるのか、それとも顧客だけなのか。拠り所のあるなしは大きな違いだ。だが聞いたところで何も力になれない自分が、スマホの電池を消耗させるのは迷惑なだけだ。埼玉県の家族との連絡を優先させるべきだし、情報収集のためにもバッテリーは節約しなければならない。
 そのうち、札幌どころか北海道全体の停電はすぐに復旧しないだろうという報道があり、ますます心配になった。ワイルドな奴だから大丈夫だろうと思う半面、何でもネットで調べるのが得意な奴がスマホのバッテリーが切れ、落ち着く場所もないとなれば、翼をもがれて巣もない鳥のようなものだ。

 ときどき志水のことを思い出しながら2日経ち、7日の夕方、スマホにメールが来た。
「停電で混乱する札幌市内で今朝まで過ごしました。新千歳空港はキャンセル待ちでいつのフライトに乗れるかわからないので、札幌営業所の所長に函館まで送ってもらい、新幹線に乗りました。立席ですが大宮に向かって移動中です。昨夜はムリ言ってカプセルホテルで横にならせてもらい、疲れはさほどではありません。札幌市内は今日昼の段階で電気が完全復旧しておらず、食べ物が全くない状態です」

 大宮まで4時間立ちっ放しは疲れるだろうが、とりあえず帰途についたことは朗報だ。
 もし自分だったら、パニックや自暴自棄にならずに対応できただろうか、と自問してみたが自答はできなかった。そのときになってみないとわからないだろう。


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