逮捕

どうも。

やっと本筋に辿り着けた。

長くなってしまってごめん。


傷害事件を起こし逮捕された俺はそのまま尼崎北署の留置場へと放り込まれた。

初日は2人部屋に1人で過ごす事になった。

尼崎北署は6室あったように記憶している。
基本5室使用、残りは変わった奴や問題のある奴、未成年が入る。

基本は3人部屋

初日は
どうなるかなーとかぼーっとしていた。

尼崎北署は静かだった。

時間は覚えてないが
起床→点検→朝食→洗面→運動

起床後調べのある奴は調べへ、検察庁へ行く奴は入浴日なら入れられてから行っていた。

昼食→点検→就寝

昼食後調べのある奴は13時から始まっていたかな


次の日、俺は雑居に移された。
部屋の広さは縦に布団を並べて少しずつ重なり合う程度。
頭の上に30センチ位余りがあるくらいかな?
当然夜間も真っ暗になる事はない。

尼崎北署では当時私語が一切禁止されていた。
これは中々しんどかったな。

こっそり話してはいたけど。

でも官本(貸し出しの本)はいつでも交換自由だったな。

中で買える物は

歯ブラシ
歯磨き粉
ニベア
タオル
お菓子
ジュース
週刊誌
切手
封筒
便箋

くらいだったと思う。

お菓子は色んな物があって個別に買うか何個かがセットになっていてA、Bが各500円みたいなのもあった。

Aセットがセブンの甘い系のが3種類、しょっぱいの2種類
Bセットがその逆で甘い系2種類、しょっぱいの3種類

自弁は平日夜のみ。
普段の食事が倍になるだけというものだった。

飯はクソだったな。

ここではほんとに色んな人がいるなと改めて学んだかな。


股間が痒いと騒ぎ出し、挙句に俺はB型肝炎持ってるから部屋に血を付けるって言い出して拘束されたおじいちゃん。
拘束具がヘルニアで痛いと騒いでた。
叫び声が聞こえる中夕食を食べた。
美味しくなかったなぁ。。。

ここでの話は色々あるが留置場の話はまたタイミングで。


仲良くなった奴が先に拘置所に行くことになった。
そいつから拘置所の情報を聞き出していた

〇〇があるよ。〇〇は入るよ。〇〇は〇〇です。だとか…

そんな留置場生活は2ヶ月半でおさらば!

同じ部屋の奴とかと最後の別れを楽しんだように記憶している。


翌朝、いよいよ移送。
どこに行くかもわかってたしなんとなくいつものようにボサッとしてた。
抗おうとどうにもならないことはわかってたから。


移送後諸々手続き。
領置調べや、身体検査などなど…


神戸拘置所は古かった。

しかし、古いくらいしか記憶がない。

と言うのもコロナ渦だったので移送後2週間独居。

14日過ごしたら判決だったのである。


最終日前日、雑居へ移らされた。
6人部屋だった。

久しぶりの人との会話が嬉しくてひたすら喋っていた。

食べ切れないお菓子をあげたり、使わない日用品をあげたりした。

中の1人とはたった半日で仲良くなり連絡先も交換した。

留置場から拘置所へ移っただけで一気に社会の更に下を見た気分になった。

設備、職員の態度など。

独居だった事もかなり大きいと思う。
留置場でも話せなかったがこっそり話したりなんかはあったし人と顔は合わせる。

拘置所の独居は話す相手すらいない、もちろん誰ともほとんど顔を合わせない。

拘置所での生活は基本的に何も無い。
お菓子やカップラーメン、パンで美味しい物を創造したり試したりみたいな感じ。

雑居だとかなり違うと思う。
俺は拘置所での雑居をこの話の件と最近捕まってた2回行ったが雑居は丸1日程度しかないから拘置所はもっと違う印象だと思う。

俺には音が無く、色が無い風景ばかりが思い浮かぶ。

判決は1年2月、執行猶予3年。

晴れて娑婆へ!!!


コンビニではフリーズし話したい事は言葉が出ず…

なんてたった3ヶ月ですっかりムショボケもしてしまったがすぐ回復した。


次回から受刑へ至るまでを書こうと思う。


のんびりやるつもりなんでのんびり観てくれればと思っている。


それではまた近いうちに?


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