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スタインベック『怒りの葡萄 上』(19章まで)読書会(2023.9.1)

2023.9.1に行ったスタインベック『怒りの葡萄 上』(19章まで)読書会の模様です。

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私も書きました。


小説のなかのジョード一家のサバイバルを通しての社会批判


ジョード一家の先行きが心配で、一気に下巻まで読んでしまった。

アメリカでは、車中泊をしながら「渡りびと」となって暮らしている人たちがいる。学校の臨時教師をしながら、家賃が払えなくて、車中泊して出勤している女性教師がいるというのをアメリカのニュースでみた。『怒りの葡萄』のようだと字幕で形容されていた。そのころは恥ずかしながら本作を未読であった。

そういえば、日本でも、道の駅を転々としながら、車中泊をしている人たちがいるのをNHKのドキュメンタリーで放送していた。


読んでいて色々なことを考えた。もし、自分がトムの立場だったら、一家を率いて行けるだろうか? くじけて、自暴自棄にならずに、毎日を過ごせるだろうか? 一族の土地を追い出されて、どうやって人間が、誇りを持って暮らせていくのか?


(引用はじめ)

深く傷つき、弱り果てている男は、どんなに愛している人間にも、怒りをぶつけかねない。(P.69)

(引用おわり)


世間で傷ついた人間は、家族に辛くあたり、泣かせるだろう。本作では、家族に辛く当たらないように、「渡りびと」の家族がお互いに助け合う様子が描かれている。じいさんの埋葬を手伝ってくれたウィルソン夫婦もその一人だし、下巻でトム一家が滞在する官営野営地でも、助け合いによる自治の様子が描かれている。


社会は、家族の重圧を和らげるように、お互いの助け合いの精神で作られている。それが家族関係の緩衝材になっている。緩衝材がなければ、不満は家族内に鬱積して、DVや子どもへの虐待となってはけ口を求める。


スタインベックは、この作品で、「渡りびと」の発生した構造的な要因を解説している。また、富の集積が、民をぶどうのように圧搾して押しつぶしていくからくりも解説している。小作人に借金させ、担保として土地を奪う銀行。資本力のない中小地主から土地を取り上げるために行われる、大地主の資本力に物いわせた賃金のダンピングや、商品のダンピング。資本家の政治力で、資本家の手先になる行政組織。住民自治を混乱に陥れる、金で雇われたならず者。本作に現れた現象のいろいろな要因が社会科学的に解説される。


これらの構造的要因は、現代も変わらず見つけることができる。


法的枠組みが発達して、ジョード一家ほど過酷な状況に追い詰められることはない。

それは、民がいつも勇気を持って立ち上がってきたからだ。


いつでも分断統治はある。政治権力に買収されたメディアは、いつでも民を分断してくる。人間の組織化によって、分断に抵抗しなければ、一部の権力者たちに踏み潰されるぶどうになってしまう。


(おわり)

読書会の模様です。


お志有難うございます。