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幸福度なんて測れない

時間に追われていると幸福度が下がるらしい。
へぇ〜と思いながら情報を眺め、ふと思った幸福度ってどう測ってるの?

幸せですか?でYESという。
0ー100でどんくらい?で80くらい?とかなのか?
そもそも、幸福感度って個体差すごそうだな。
さっき食べたラーメンが美味しいから、今僕は幸福感と満腹感に満たされているわけで、すごい波があるのだろう。

幸福度なんて測れるわけない!という結論にいたった。
そもそも度合いがある時点で何かしらの比較なのだろう。
人それぞの幸福があるのだし、平均して低い方ですねとかではなく、その時々、人それぞれで違うものなのだ。

自然を眺めて幸福と感じる人と
自然を眺めて退屈と感じる人がいるわけだ。

家族と過ごして幸福と感じる人も、
一人で過ごして幸福と感じる人もいる。
そう思うと、幸福度合いなんて比較するより、
自分にとって何が幸せかを把握している人の方がより幸福になっていくだろうなと思うのだ。

時間に追われると幸福度が下がるのではなくて、自分の好きなものへ向ける時間がないから不幸を感じると言った方が正しいような気がした。心の余裕があってこそ、好きなものへ時間を使える。

そういう意味でいくと今週の僕は不幸だ。
週末は大学の講義で10時間奪われる。ゆっくり休める時間がない。
でも、来る生徒は通信の学生なので、とても積極的だ。その前向きな人たちに教えれることは僕にとって幸福だ。

どちらかといえば幸福
どちらかといえば不幸
ではなく、それはどれも混在している。

自分が不幸だなと思う時間や行為を減らし
自分が幸福だなと思う時間をや行為を増やせばいいのだろうなぁ。

次の打ち合わせまで日記を書く時間は幸福に分類されている。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。