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昔の仕事を思い返す

少し雨が降りそうな天気。家先まで出した自転車を戻してバス停に向かって歩く。仕事ではない個人的な関心によるプロジェクトでご挨拶。が、濃密なディスカッションに。自分と全く違う人は教科書があるてるみたいだ。インプット全開でいくと、僕は顎髭を触ってしまう。癖だ。ずっと触っていた。

西本願寺のすぐそばが会場だったので、昨年納品した懸垂幕を覗きにいった。
堂々と発色も落ちずに風に揺れていた。もはや懐かしくもあるが、やっぱりこれポスターシリーズも展開したい。どうでしょう西本願寺のみなさん。

懐かしい思い出もフラッシュバックしたので、この仕事の思い出を少し。
ある時、僕が尊敬&信頼するプロデューサーの林口砂里さんから連絡があり、僕は浄土真宗のお仕事を手伝うことになった。実家がそういえば浄土真宗だったな…くらいのものである。その足で書店に行き、仏教関連の書籍を買い漁る。読むとこれがまた面白い。と同時に僕のような宗教に関心のない人も多くいる。不思議なギャップだなと思ったのが初感なのを覚えている。

西本願寺で打ち合わせを重ねるたびに、仏教のみならず様々な宗教がなんのために世界に作用していたのかが理解できるようになった。特にその中でも仏教が発展してきた構造は今僕らのような人間が見返しても唸るほどよくできている。僕は仕事柄、常に第三者の距離感を維持することが大事なので仏教最高!とかそういうことになってはいけない。無関心な人の気持ちと宗教の距離感を俯瞰して見ておく必要がある。

このプロジェクトのプランでは色々考えた。
なんか言葉一つで変わるんじゃないかとも思った。読み漁った本がそれでも読みにくい古語も入り混じり、改めて現代語訳すべきじゃないかとも思った。
色々唸りながら考えていたときに仏教の広まりに思いを馳せてみた。

この宗教だと信じた人が、説法を説いて回る。
その時から無関心な人はいただろうことを思う。
いろんな町や道角で語り続けたのかもしれない。
その時、どういう会話があったのかな。こういう苦悩があって…と相談されて、それに耳を傾ける。そして、こういう教えがあってねと物語を語り出す。その物語には気づきがたくさんあって、これが答えだ!は聞いた本人が見つけ出す。

ボロボロの農家の服をきて、ど田舎の田んぼ道でお坊さんの話を聞く。
そんな想像をしてるとき、大事なのは言葉ではなく、言葉を交わして行くことだと気づく。現実にハッと戻って、僕は企画書を書き出す。

若者は宗教に関心があまりない。多分必要となるのはもう少し生きる体験を重ねた先にあるのかもしれない。そういう子たちとお坊さんに対話してもらおう。20名くらい参加してくれた高校生と、5名のお坊さんが4テーブルくらいで数時間会話する。それを全て録音しておく。僕らが言葉を作るのではなくて、今起きてる対話を言葉にする。それは僕が想像した、かつての宗教の広がりを今の時代でやってみるというシンプルな作戦だった。

そして、出てきたのがこの対話。

「住職さん、勉強は好きでしたか?」

わたしはね、
テストが好きじゃなかったの
点数で比べられるでしょ。

だからね。
こう思うようにしたんです。

わからいところを教えてくれる試験って
ありがたいなあって。

ちょっと見方をかえるだけで
楽になりましたね。

ぶらっと別会場に移動するときに住職と学生が雑談しながら歩いてる写真にこの言葉を添えて完成しました。

会話の内容も難しいことなんて全然ない。それ僕も思ってたなぁって。笑
でも、当時の自分には、こういう一つの考え方を提示してくれる人っていなかったなぁ。

思春期真っ只中な若者が、お坊さんと歩いて会話してる風景がとてもよく。
若者なんてポケットに手を突っ込んでる。笑
でも、なんか硬かった若者が、すごい素朴な会話を交わしている。

この返答もそうだけど、ある物事の違う見え方や解釈を与えてくれる。そうするとスッと心が楽になる。

宗教って今の僕らの世代からすると、少し抵抗を感じるところがある。これは事実だと思う。それゆえに触れてこなかったというのもある。別に無神教でもいいと思っている。ただこの仕事をキッカケにお坊さんたちすごいぞとなった。僕が人生で悩むならお坊さんの友達に相談したいと思うくらい。

昔ってもっと身近な存在だったんだと思う。
それが今の時代少し遠くなってしまってる。観光でしか寺にいかず会話もなく出て行ってしまう。もったいない。すごいもったいない。

だから、高校生が発した日常会話のような言葉でもって
この表現を実現してみた。
本来はこういうものなんじゃないかなっていう僕の願いも込めて。

他にもいい会話がいっぱいあった。
シリーズでやりたいなぁ。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。