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コンテナプロジェクトはじまりの話

2019年9月末に京都に誕生する、おそらく京都発のコンテナ複合施設の2年以上におよぶ開発プロセスを回想とともに急ぎ足で振り返ります。

ファンキーからの誘い

ことの始まりは、週末だったか平日だったか思い出せない2年以上前。
京都で一番声がでかくファンキーなくせに実はシャイな川端チャンネルからの急な電話から始まった。

「おもろい相談あんねや〜迎えに行っていい?」みたいな感じだったはず。
声がでかいからスマホを離してても声が聞こえる。機密情報とか預けたらダメなタイプだなと思う。その代わり、アナーキーな案件は彼が一番知っている。ファンキー(あだ名)が言うのだから、面白いんだなと思い彼の車に乗り込む。

ものの数分で目的地へ着く。駐車場、長屋、長屋、長屋、駐車場。
なんてことない京都らしい「鰻の寝床」的な細長い土地。
あ、これおもしろいなと最初に思ったのは俯瞰した京都の立地だった。
ビジネス街と住宅街。その間あたり。仕事でも暮らしでもないグレーな感じ。碁盤の目に区切られた京都の中で面白いステータスだなと思った。

ここで何か面白いことをしよう。そう言う相談だった。
たぶん、誘った時点でファンキーの頭の中にはコンテナがあったと思う。
敷地面積は結構なものだ。ここに新築なら長屋を潰す?なんか普通すぎる。コンテナとか京都じゃ無理かなーコンテナ使いたいな、中古で。そんなことを僕も考えていた。ここでコンテナやりたい。このとき、どれだけそれが無理ゲーか、僕もファンキーもさほど考えていなかった。

誰と作るか?

さて、誰とこれを作るか。色々繋がりある人たちを想像した。
こう言う人面白いと思うよ、とか色々やりとりをする。
その中で、ファンキーが絶対この人!大阪におるから一回会おう!と熱烈にプッシュしていたのがmuuraの中川さん。

大阪拠点でコンテナ物件を多数手がける実績を持ち、あーもうこの人しかいないとなる。新品のコンテナダサいからいやだなぁという思いもツーカーで中川さんの事務所もコンテナ。遊びに行くと一気に想像が広がる。

最初コンテナは狭いかもなと思っていたが、中川さんのコンテナ事務所を見ると一気に気に入ってしまった。なんというか自分の城のようなのだ。自分の仕事にフィットする形にコンテナをカスタマイズしている。自由さがそこにあった。

(初期の図面。この時点で結構飲食の割合を多く見ていた)
こんな敷地で、コンテナで、何ができるかな?
三人でワクワクしながら想像を広げる。仕事と暮らしの間ってのが面白いから、飲食もありーの、オフィスもある。昔の町屋の作りを拡大解釈して、客間もあるような構造を議論したり。

僕は僕の繋がりでチームを作ることが多いが、今回ファンキーの繋がりのチームにジョインする。それが新鮮で面白い空気。何か見たことない状況が生まれそうと期待が膨らむ。しかし、まだまだ道のりは遠かった。だって、これ2年前の話。

京都でコンテナまじやばい

話を進めて行くうちに京都のスーパー難しい環境に行き当たる。
おそらく日本の中で一番建築に対して厳しいのが京都。
有名なのが景観条例の厳しさ。マクドが茶色のをご存知な人も多いはず。
景観を乱さないよう使用できる色のルールが制限されている。
ちなみに渋谷を走るバニラの高給バイトの車も茶色一色で新しい観光名物ともいえる。

そもそも、日本かつ京都という場所でコンテナ物件を実現することはスーパー難易度。ゲームでいうハードコアモードの隠し難易度的なミッションだということが判明する。どうするか…うーんと悩んでいたらファンキーが「魚谷さんがいる」となる。

僕は立ち会えなかったが魚谷さんに相談に行くと
「学生のコンペみたいだね…おもしろそうだからやるよ」
と仲間入りをしてくれました。それくらい描いていた物件がむちゃくちゃだったというのもあるんですが、今日振り返ると魚谷さんいなかったら、根本的にこのプロジェクトは成立しなかった。。

想像と現実のキャッチボール

(初期のプランにつき、9月末に出来上がるものとは異なります。)
これは結構初期のレイアウトプラン(中川さん勝手にさーせん)。今は懐かしんで見ている。何かを想像するとき、実現度は置いておいて描いてみる。それがすごく大切だなと思ったことを覚えている。

もともと建築とかわからない僕がグッと現実をもって想像できたのは、例えばこんなこともできるよねと出されるレイアウト案。わーやべーとなる。
これに対して、魚谷さんが現実的に建築として成立させる(いろんな壁を突破する)には、こうしないといけないとボールを返す。

このやりとりがしばらく続く。多分1年くらい続いた。バージョンもすごい数ある。毎月定例会議で議論を交わし、そのあと酒を飲む。2年をかけてチームの関係がどんどん高校の同級生くらいになってくる。

誰も否定しない。それは皆、各分野のプロだから。

このチームが好きなのは、提案に面白い!となって常に前のめりなところ。
結構な壁だったと思う。こんなのよく通したねと誰もが驚くほど。
(オーナーが最高だというのもある。もちろんチームの仲間だ)

なぜこんな停滞せずに1mmずつしか進めない時期もあったけど、誰もあゆみを止めなかったのか不思議だった。どこかで折れてもおかしくないほどの難易度だった。しかし、みな前向きだった。これが無理ならこれでいこう、次から次へと次の一手を打ち続ける。

各自がバラバラな得意分野を持っていて、その力でもって大きな駒を進めて行く。魚谷・中川ペアの頑張りの後は、ファンキー・松倉の頑張りフェーズ。結構いかつめなバトンが2年越しに回ってくる。

まだまだ続くよコンテナプロジェクト

今回は僕が知るサイドの始まりの話からダイジェストに書きました。
次、もっと地味だけど大事だったプロセスやコンセプトの話などを書いていきます。そして、今も目下制作中!乞うご期待!

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。