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あなたは何者か

本日2個目の日記。忘れないうちにメモ的に日記書く。
僕の仕事が説明が難しいため「何者であるか」という対話が多い。主に初対面の人。その流れでとある新聞の記者さんから仕事内容についての問い合わせがきて、この後会う。

こういう相談は多く、若い人から年配の方まで興味を示していただき、わざわざ会いに来てくれる。名刺交換がてらの立ち話ではなく、何か予感なのか興味が湧いて足を運んでいただいている。ありがたい。そういうときだけ、自分の仕事をすごく丁寧に説明する。がれらの紹介は時間の無駄だと思ってるのでググってくださいに済ませている。元来、営業が下手くそだ。誰にも良い顔できたら楽なんだろうけど、そういうのも別の苦労があるのかもしれない。

あっちへこっちへ仕事で行ったり来たりしてる道中にいろいろ考える。
なんで「何者であるか?」を明確にする必要があるのか。
自分らしく、あなたらしく、と世の中の風潮はあるのにいざ仕事の土俵にたつと、お前は何者かを明確に示すことが正しいような空気がある。
そういうの感じない?

最初にもらった肩書きがプランナーなので名刺にはプランナーと書いている。
そこに何の意味もなく、松倉早星という名前の方が重要だ。
無言のあなたは何者か?という明確にせよという圧を感じる。

僕が確信しているのはこれで「あなたは○○だ!」となることは割と死を意味している。僕の仕事においてだけど。自分の意味を他人に決められてはいけない。ひいていえば、何者でもないことの方が重要な意味をもっている。様々な分野を横断し接続していく。そういう仕事の人が周りに数人いる。その人たちも同じように何者であるかの説明が難しい。

でも、それ以上にまだ誰も何者と定義されてない領域で飯を食っている。
時代や他人に説明された瞬間に、もう自分は時代遅れなんだと思ってしまっている。良いのか悪いのか。この手の仕事は常に先を夢想すべきだし、描くのは今日のことではなく先のこと。夢中に向き合ってるものや語ることが今の時代とズレてたって関係ない、だって、その先を描くのはこちらの仕事だと思っている。あとでみんなこの面白さに気づくはずだと黙々と仕事をしているのだから。

あなたは何者か。
私は私。僕は僕。
仕事の内容はわからない。でもワクワクしてる。
それだけでいい。

Photo by Umberto Shaw from Pexels
https://www.pexels.com/photo/man-walking-on-floor-764880/

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。