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[再掲]大学生活で一番大切にすべきこと。

2015年に書いた古いブログから転載。改めて読んでも、そう思えるな。

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北海道を離れたのは、もうだいぶ前のことだ。
桜も咲ききらない3月の中頃、地元である北海道を離れ京都へ。
18歳の若者に13年後のいまを想像することなど1mmもできない。
初めての一人暮らし。大学生活。今までとは違う自分の人生の始まりの合図のようだった。

高校生だった僕の想像をはるかに超えて、
大学生活4年間は、自由でわがままに、多くの無駄なことに輝きがあって
残念ながら勉学以外のことがらすべてにだけ情熱を捧げ、
人生で二度あるのかもわからないほど、膨大で終わりがなさそうな退屈な時間をぼうっと過ごし、
あの頃、永遠だと思っていた夏休みは、たったの4回であっけなく終わり、
気がつけば僕らは大人になっていた。

大学での友人は死ぬまで友だ、と親父やオカンが言っていた。
入学式を見届けて北海道へと帰っていく親の言葉は真実で
13年のときを経て、久々に集った仲間は、まぎれもなくあの頃のまま、
くだらない時間が魔法のように生まれて、言われなければ思いも出せないような
細やかで阿呆らしく、それでいて最高に滑稽な瞬間がいくつも思い出された。

再開していなければ二度と思い出さなかったかもしれない
思い出と思い出の隙間にある日々が次々と浮かび上がって
それなりにある10年近い月日が嘘のようにあの頃に僕らは引き戻される。

大人になった皆は、大人の事情をしっかりもっていて、
家を立てるだの、子供が二人目生まれるよ、と
しっかりとあの頃僕らが想像だにしていなかった大人らしい大人である一方。

ゲラゲラと笑うその顔は何一つ変わらないまま。
やんちゃな奴はそのままに、阿呆は阿呆で阿呆らしく。
秀才は秀才のまま、たぶんこのままじじいやばばあになっても
同じままに残像のようなあの頃を投影して、青春時代を呼び戻すことができる。

ただただ居心地がよく、朝日が登るまで時間を持て余し、
朝日とともにそれぞれが自分の部屋に帰っていった大学時代を思い出したよ。
朝焼けは誰もいない街を鮮やかに染めて、マジックアワーっていうんだぜとあいつがいって
それは夕方じゃないか?朝方もいうのか?そんなことはどうでもいいけど、綺麗だなぁと
線路沿いを歩いて帰ったその瞬間までをも思い出した。

誰も欠けず、健康なまま、僕らが居座った喫茶店に集合しよう。
白髪やシワや日常の少しややこしいことを持ち寄って
あの頃のまま、何も恐れずただただ笑おう。
そう思える友ができた京都での大学生活は、
決して色褪せることのない僕の宝だ。

今、学生として過ごすあの頃の僕らのような若者よ。
真面目なことは後回し。今は今友とできる最高の時間を過ごすのだ。
その瞬間、ただただ一緒に過ごすだけの友と思うが、
それぞれが一人一人大人として歩き始めた時に
遠くにいるのに隣にいるようで、あの頃の名前もないような時間が君たちを支えてくれる。
それが友というものです。そういう出会いが君たちに訪れることを心より願っている。

そういった仲間と過ごす時間は、一人で過ごして消えていく名前もない時間とは違って、
なんの記念日でもない、暑すぎて眠れぬ夜に誰もいない駅のベンチで飲んだ酒や
あの子のことを考えすぎて生垣につっこんだ下校路。
酔っ払いすぎて雨の中でずぶ濡れで遊んだ、ただの豪雨。
そういったなんでもない日々が、キラキラと輝く宝になる。
それはいつか君を救うだろう。僕は何度となく救われてきた。

愛おしいあの時間を君たちも。愛すべき仲間と共に。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。