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ダメな自分らしさというものを大切に

17時にのれんをくぐる。お店のあかりはまだついていない。
ガラガラと引き戸をあけるとおばあちゃんが一人カウンターで掃除をしている。もういけるかな?の質問に、あら久しぶりねと可愛い笑顔。

僕は定期的に仕事をサボる。色々過密なスケジュールで打ち合わせがぎゅうぎゅう。毎日いろんなことの決定が重なって、その度に鰹節を削るみたいに自分の何かを削り落としている感じがある。

残業をしないルールになってから出来るだけ仕事時間に無駄はものはいれないようにしている。歳を重ねて徹夜なんてできなくなって、最小の動きで最大の結果を考えることに比重が変わってきたとも思う。

自分の心に嘘がないか。心は息切れしてないか。
そういうことをしっかり見るようにもなった。働いている中で気付いたことは体力的に削られることは休めば治るってこと。心の疲れやストレスは、そう簡単にリカバリーできないってこと。

心の残機が減ってきた時にぶらっとこの店に来る。
ガチャガチャした飲み会も好きだけど、お母さんの万願寺唐辛子の話をツマミに飲み干すビールは確実に心の部分に栄養が行き届いている。ほんの数名で割と好きな人しか誘わない店でもある。

座席は座れて六人。お母さんに「もう一人くるわ、あとビールちょうだい」。最初のいっぱいはお母さんが必ずいれる。いただきますとぐいと飲み干す。「これ美味しくできたの食べる?」とおばんざいを見せてくれる。お店というか実家のようだ。美味しくいただく。

コップから酒が消える度に、友達とくすくす笑う度に、心が満たされていく。体力も心もガソリンに満たされていく感じがある。それと引き換えに二日酔いを持ち帰ることになり、翌日は使い物にならないのだけど。それでも数ヶ月分のエネルギーをもらう。

そのあとぶらっと歩きながら、別の友達が飲んでる店で乾杯し、さらに飲む。そのまた通りを下った店に足を運んでガチャガチャ飲む。なぜかおじさん同士をキスさせようと必死だった記憶だけはある。しっぽりもわいわいも全部ある夜。気がつけばすごい時間飲み歩いていた。

帰りのタクシーでふと思ったのが、人って心を休ませるのが下手なのかもしれない。こんな心を使う時代もなかったのかもしれない。そう思った。
適当でいられる時間が減って、何かちゃんとした人でなければいけないことが増えた気がする。

でも、本来僕らって弱く甘くてふしだらなところも半分くらいある。
それを取り繕ってちゃんとした人として生きてくことが求められすぎている気がする。もっとダメでいい。そんなことを思った。怒られても命は取られない。さーせんの一言で済むならダメな自分らしさというものを大切にだらしなく育てていくことの方がずっと健全ではないかと思った夜。

二日酔いで使い物にならなかったので少しだけ仕事して寝るとする。
なんつっても今月期末なのだ。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。