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31日書き続けたら、どうなった?

11月22日から急に書き出した毎日日記。意味もないこと。価値もないこと。でも何かを書こうとすると今日の意味を探すのだなと気付いた。
自分の日常は何もないなーという前提意識で生活してるのが僕ら人間なのかもしれない。何もないなんて日はない。

なぜ、こんなこと始めたのかというと仕事の忙しさに日々のペースが壊されそうな不安があったから。一人しかいない会社だし、生活もあるし、無自覚に日々は過密になり、自分らしさを再確認することなく毎日が終わっていく。

気がつけば、それこそ1ヶ月も経てば、仕事に最適化された人間に人は簡単になってしまうんじゃないか。毎日5分でも自分が思ったこと、感じたこと、起きた出来事を振り返ることで、人って1日の生活の中で自分自身を再認識できるんじゃないか。そう思った始まったキッカケでもある。

スマホでも、PCでも少し5−10分あればノートを開き、自分の気持ちを考えることができる。SNSは誰かに発信する土台にたつけど、日記は自分だけがかければそれでいいという土台にある。そこがとても今の自分にとって大事なことだなと思った。毎日、自分の足元を確認する。そういう儀式みたいな感じ。

駄文・散文・誤字脱字を繰り広げる中でも、こんなにたくさんの人が見てくれていることに驚いた。ほとんどスマホで書いてたからview数がPCで見れることをしって、あらー意外と見てくれてると驚いた。

誰かの日記を眺めてるってことだからコメント残しようもないけど1名いらっしゃった。なんてことない自分の日常に合計で460もいいなぁと思ってくれた人がいる。これは自分の思ったことと同じように感じてくれた人たちがいるんだという気持ちで嬉しくなる。

そして、このアカウントを110人もこの1ヶ月でフォローしていただき、家の枕元に置いてある僕の日記をいろんな人が見てくれてる不思議を感じる。みんなの毎日はどうだったんだろう。この数字を見て、あったこともない人の毎日を考えたりする。

次は3ヶ月連続を目指すのか、半年なのか、1年なのか、僕もわからないけれど、健康にいいというか、心にいい作業だという結論に至っている。見失いがちな自分らしさをしっかり今日もいるね!と再確認して、日々を重ねていける。そして、いつか先には昔の足跡を見たりして、救われる日もあるのかもしれないとまだしばらくこの日記は続いていくと思います。

明日も明後日も、どうぞよろしく。
なんてことない毎日を眺めていこう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。