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「多い・重い」から「少ない・軽い」へ

減らすだけの簡単な作業が苦手だ。苦手な要員として、人は持っていたものが減ると「損した気がする」からかもしえない。あくまで予想だが。
正月休み最後は事務所に持っていく本と手放す本の整理をしていた。

蓄えておく習性がどうしてもあるように感じる。一度インプットした本で二度は開くことのない本も手元にある。知識が眠ったままであれば誰かに委ねたほうがいいだろう。古本市の誘いがあれば二つ返事格安設定で本をお届けしている。

しかし、そう何度も古本市が開かれるわけではない。主に個人的に買った本は売るかあげるかするが、仕事で買った本を売るわけにはいかない。やっとスタッフも増えたので本を事務所に少しずつ移動している。

特に個人的な本では小説や漫画がすごい量ある。
これは買物王子というわりかしコーディングが丁寧だと思った買取サービスに依頼する。サイトが丁寧かどうかでブランドを判断する謎な軸。

買取系はダンボールを自分で用意しないといけない。そして、わりかししっかりしてないとダンボール弾けるという面倒くささがあるが、ここは2箱までならダンボールを送ってくれる。これを使って少しずつ吐き出していけばいい。申し込みをした後にふと考えた。「多い・重い」ってこれからの時代マイナスになりそうかもなぁと。

多い・重い → 少ない・軽い

本はいい。読めば読むほど、漫画でも知識になる。本を整理し終えた後に机を見ると大量のペン。ノート。書類の山。小銭。なんか絵的に多いな…なんて思いながら、まじまじとペンを見る。

僕はデスクで使ってるペンは、京都市からもらったよくあるボールペン(使いやすい)と、Apple Pencil。無料と1.5万円のペンを使っている。
なのに大量にペンがある。そのペンを入れるための埃をかぶった箱がある。

不要なものを入れるための不要な箱がある。これは連鎖するんだと気づく。
数年前から小銭入れのある財布を使わなくった。電子マネーのおかげで財布はだいぶ軽くなり、今十数グラムの超軽量の財布にカード類とお札が入っている。あとは電子マネー。だいぶお金も軽くなったなと思う。

断捨離ブームがあった。知り合いの旦那さんは大切なおもちゃが捨てられたと嘆いていた。知人は家で断捨離がおきて、ゲームを捨てなきゃいけない状況になったので松倉くんに託すよと悲しい顔をして大量のゲームをもってきた。(僕にとってはゲームは資産)

これはただ減らすだけじゃなくて、「自分の所有の判断」を整理する作業なのかと今気づいた。ただただ減らすだけじゃなくて軽い個人セッション。
一昨年亡くなった祖父や今も元気はつらつな祖母もほとんど物を所有していなかった。歳を重ねるにつれて達観していくのもあるのかもしれない。35歳になると誕生日もクリスマスも欲しいものはないっすとなる。

何か欲しいものもらえるよ!ってときに、あ、所有欲がないと気づくのに実は無意識な日常で所有欲を満たしている。この謎に多いペンを見るとよくわかる。数ページしか使ってないノートも。

多いより、少ない。これが与えてくれるものは色々ありそうだと誰もが気づいている時代な気がする。
でも、なんとなくだけど、次は軽い時代が来そうな気がする。軽い服、軽いカバン、軽い財布、軽い雑誌、軽い食事。いろいろある。

軽いっていいなと最初に思ったのはノートPCを持ち歩くことから、タブレットのみを持つことに変えた時。カバンが軽い。そして、そのカバンは少し大きすぎるとなり、小さいカバンで十分になった。大きなカバンは時々しか利用しない。

つまり、無駄に多いペンを入れるための無駄な箱が生まれるように。
使うペンは数本であれば、箱はいらない。
重たい大きいPCを背負うために、大きなカバンが必要なように。
PCを軽く、タブレットにすることで、もう少し小さく軽いカバンでよくなる。

この「少ない・軽い」の選択肢で物を選ぶと暮らしがだいぶ軽くなる気がする。重たい腰も軽くなるかもしれない。登山家が最低限の荷物しかもっていないように、日々仕事の中でも最低限のもので働いてみるといいのかもしれない。

そうみると暮らしやオフィスの風景は、なんて多く・重たいものが多いのだろうか。

Photo by Kaboompics .com from Pexels

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。