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旅するサーカス団

深夜一時の吉野家で一人もぐもぐと牛丼を食べている。
不思議と寂しさはない。数人いたお客さんも気付けばいなくなっている。
疲れ切った肝臓にあさりの味噌汁が染み渡る。

終電を過ぎた駅周りでは車はまばらで静けさがある。
GWを過ぎると京都も人が減り始める。この土地に住む人からすると少しだけ平穏が訪れる。間も無くして膝から崩れ落ちそうな湿気がこの街を覆っていく。

テクテクとタクシーを拾えそうなメイン通りまで歩く。
タバコに火をつけてプカプカと煙を後方に置き去りに歩き去る。
慌ただしい日々に急がなくても良いのに歩く速度が速いことに気づく。
側道に座ってタクシーをまったりと待つ。

この十日間、結局飲み続けていた。家族には迷惑をかけた。
浜松の街角で、タロット小屋で、馬鹿騒ぎするカラオケで、祇園の焼肉屋で、大宮のスナックで、商店街のたこ焼き屋で、三ノ宮の居酒屋で、程よく酔いながらバカみたいな話も真剣な話も壮大な夢も色々語った。

そんなアルコールの日々を思い返しながら、まだタクシーは来ず2本目のタバコに火をつける。

ふと、大学進学で引越しを手伝いに北海道から両親が来た日を思い出した。
なんで、このタイミングで思い出したのか分からず懐かしみながら回想した。
一人暮らしがはじまるね、料理ができないスバルでもこの本のは誰でも作れるから、静かで良いところだね〜、これから色々始まるね。

いろんな言葉を思い出す。
不安と期待が入り混じる18、19歳の自分。
両親は北海道へ帰る準備。最寄りの駅までぶらぶらと家族3人で歩く。夕焼けが少し寂しい。

よく喋るのは母だ。この別れ際、あまり何も言わない父親が「友達だけは大切にしろよ。」と言葉をくれた。うん。と答えて遠くなる両親の背中を見送る。一人部屋に戻るとやはり寂しさがすごいなと思った。友達に電話して「寂しいし飯食いにこう」と二人で寂しさを紛らわした。

あの日から15年近くが経ち、僕は良き友人たちに囲まれて暮らしている。
みんなおバカで、でも憎めなくて、とびきり凄い何かしらを持っている。
頼ったり頼られたり、一緒に喜んだり、悲しんだりしている。

そうかーこういうことか。
なんだか凄い時間をかけて父親が別れ際に言った言葉の意味を理解する。
友人たちが僕を遠くまで運んでくれる。決して一人じゃ来れないところに。
今日、今こうやって誰もいない街で来そうにもないタクシーを一人待っていても全然寂しくない。何もなかった18の頃から、たくさんの友達ができた。

みんなのことを考える。
ありがてぇなぁと思いながら、遠く近づいてくるタクシーの明かりに手をあげる。僕らは遊びながら果てなく遠い場所まで旅するサーカス団みたいだ。
見たことない景色まで仲間を増やしがら旅をするキャラバンだ。
ぐったりと疲れた体と、そろそろ急停止しそうな肝臓の重さを感じながら、心はとても満たされている。持つべきものは友って言ったやつすごいな。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。