あなたの押し付けるYESは、誰かのNOである

人はそれぞれ独自の「視点」もしくは「視座」がある。
その視点の方向は、自分が大切にしている「価値」で定められている。
その観察を続けることで自分なりの「思想」に定着する。
なので、人それぞれの行動や判断は異なり、人それぞれの色とりどりな人生のグラデーションを織りなす。

僕には僕の視座があり、価値観があり、思想があり、今の人生がある。
そして、僕の人生の隣に座る妻や子供達にもそれぞれある。
飲み屋でテーブルを囲む友達たちにもある。赤ちゃんにだってあるはずで、本当「人間」っていうのが一番魅力的である。

ただ、最近SNSを見ていると視点、価値、思想、行動を否定するようなコミュニケーションが見られることが増えた。
飲み屋で日本酒頼んだのに、ダメだよ生中飲まないと!と言われるようなものだ。しかも悪気はない、正しいことだと思っている。実際飲み屋でそんなことはないんだけどね。僕はそういうコミュニケーションが嫌いだ。

「思想的・井の中の蛙」とでもいるかもしれない。
その人の価値観だけで形成された視点で世界を見ている。そうなると色眼鏡と一緒で自分の価値観に違うもので溢れている。思想が強いので居心地が悪い。そして、どんどん“自分と似た人”に囲まれるようになる。これをSNSは実にスムーズに実現してしまった。

この僕の苦手な人たちは、言葉尻が強い。だって、心から信じるものに否定的な人が現れるから最初から好戦的だ。なんとしても論破してやろう。正しく導いてやろうという香りがする。そういう人たちは対話を前提としていない。なのでオンラインの至る所で喧嘩が起きる。

僕は基本的に「僕ではない人」が好きだ。
価値観が真逆でもいい。その価値観に至った僕とは違うプロセスを知ることが楽しい。その度に人は多様で魅力的だと思う。最高に酒がうまい。そして、自分でない人は多くの学びを与えてくれる。だって自分とは全然違うんだから。自分が持ってないものをたくさん持っている。もっとも対話すべきは自分ではない多くの価値観を持つ人たちである。

逆に自分と似たような人たちが群がる場に足を運ぶと1秒でも早くその場から逃げたくなる。もちろん面白い人たちもたくさんいるだろう。でも同じ価値観の人たちと集まる行為そのものが苦手な僕は、スッと席を立つ。交流会とか絶対行きたくないのはその理由がある。

僕が仕事にしてるアイデアは居心地がいい。同じ考えることが好きな人でもみんな自分の人生からしか出てこないことを知っているから、自分でない人たちの集い=飲み屋な空気がある。そもそもアイデア考える人少ないから寂しいのだけれど。

同じ価値観の人たちと集まって傷の舐め合いをするような時間があれば、知らない飲み屋の暖簾を潜って、その日出会った人たちと対話をしたい。
こういう世界があるんだよを交換しあうことで僕の人生はもっと彩られていく感覚がある。

荒れ気味なSNSを眺めて今日の日記を。
あなたの押し付けるYESは、誰かのNOである可能性がある。
それに怯えてこそ、人間的対話だと僕は思う。

Photo by rawpixel.com from Pexels

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