見出し画像

アートサイエンス談義

昨日はこのイベントで盛り上がりすぎて(メイン・二次会・三次会)日記書くの忘れていた。さーせん。

50席も満席の立ち見・キャンセル待ちがでる大盛況。
そのくせ、登壇する僕としては「アートサイエンス」がなんなのか定まらないまま前打ちなしでトークスタート。これあれやん。飲み屋の流れやん。

トークは右往左往しながら、塚田(この本の執筆者)よーしゃべるなーとリビングでまったりしてるみたいな感じで時々、お客さんの存在忘れて毎度のごとく壮大な脱線しかけるところを各々が「それ長くなるやつや!」と言い合いながら制しあう。あっという間に2時間。厳密には2時間半。

まだ「アートサイエンス」という言葉が浸透してないときに、このイベントに足を運んだお客さんの方が面白いよなと思う。質問もすごい面白いものばかりだった。これ本当は登壇者四人ではなく、みんなで考えれる議題だったなと思う。やっぱ次は飲み屋で開催だな。

アートのプロでも、サイエンスのプロでもない僕は、その分野ではないのでという守りは決め込まず、あっしはこう思ったわっていうのを改めて書いておく。

今、この時代にふわっと立ち上がった状況のように見えて、実は前からいろんなところにあったはず。ただ「これを何と呼ぶのかわからないもの」というのはアートサイエンスだけではなく、あらゆる分野に存在している。

アートもサイエンスも広義すぎて境界線が曖昧で意味付けが難しいが、そもそも境界線を引くことや、ラベルリングすることには意味はないのではないかと思う。そういう議論こそ時間の無駄で他に議論すべきことがある。これをアートサイエンスとする!とかではなく、たぶん数年後にはその輪郭が明確になるんだと思う。

アートとサイエンスの邂逅とも言えるが、双方持ち合わせているものが水と油のようなものが実はこれ混ざり合うんじゃなかという感触はある。これらを結合していくのが僕ら人間や、その営み、社会を背景に接着されていくような感覚がある。どこまでいってもふんわりした表現しかできない。でも、ここで言い切ることの意味は今のところ感じていない。

むしろ、お客さんからの質問で良いなと思ったのが、翻訳勝手にすると「サイエンスを孕んだアートでのアウトリーチがあるが、アートを孕んだサイエンスでのアウトリーチはないの?」って質問。最高じゃんと思った。

これ第二回のテーマにしても良いやつやなと思っている。
来場者された方には登壇者もわからんのかい!と思った人がいるかもしれない。ごめんね、これ答えないと思う。だってまずアートが何かいまだにわからない。サイエンスはもっとわからない。どうしても答えや、わからないものにラベリングしたがるのが僕たち人間なんだけど、そのわからなさを楽しむというのも大事かなと思う。ラベリングを諦め、議論を詰める中で気づく側面も多分にあると思う。そして最後の最後までわからなかったら、昔の人が自分自身では受けきれなかった様々な事象を「妖怪」に置き換えていったように妖怪化して未来にぶんなげよう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。