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常に弱者たれ

「常に弱者たれ」という言葉が心に刻まれてる。いつどこで見たのか忘れたけど、何かの本で読んでゾクッとした言葉でもある。強くなれ、偉くなれ、そっちの方が成功したと言えるから…なんて若い時に思っていた。その真逆のような言葉に急に顔面を殴られた衝撃を受けたのだった。

ここで言われる意味は、「初心を大切に」とか「常に青二才であるべきだ」とか「調子に乗んな」ってという稚拙な捉え方をしている。大きな会社にも所属してないし、ボサボサの髪してるし、いつもぶらぶらしてるし、裏口からお入りくださいとオフィスビルで言われる。

自分で作った会社を辞めたり、周りの人からは勿体無いとかバカだなぁとか、色々言われもしましたが、私は元気です。新人の時にとった広告賞のトロフィーや賞状は、デスクとデスクの隙間にねじ込んで置いて来たし、この前の仕事では現場を見守りにいって、ポジション的に一番偉かったのにアシスタントと勘違いされて、「これ運んどいてくださいー!」ってお願いに「はーい!」って答えて、巨大な荷物を抱えて移動してる時にクライアントに松倉さん何してるんですか!って驚かれたり。

もう価値観というか人間性として、こう設計されている。
高校の時に、小泉という名前の小泉首相にそっくりなホームレスと仲が良くて、よくすすきのとか大通公園で地面に座って色々話を聞いたりしてた。

私たちは弱者であるが、弱い存在ではない。

って首相ばりにハキハキとしゃべるホームレスだった。
道ゆく人より低い位置で道ゆく人を眺めていると、たしかに上も下もないなと高校生でも思える風景が広がる。パキッとしたスーツを来た人がベロベロで座り込んでいたり、大きな声で強がる大人を見て小泉は小さい声で「弱い犬ほど良く吠える」とクククと笑うのだ。いや本当だなって。

大学の時には、アートイベントのお誘いで東京の馬喰町にいた。
今でこそ賑やかでおしゃれな街になったが、当時は下町感全開の僕が好きそうな街並みだった。その街の空き物件をアーティストに提供して約1ヶ月ほどの展示期間、街中で様々な表現が展開される。

そこで僕らがあてがわれた物件が、なんと屋上だったのだ。
屋根はもちろんない。そこでホームレスの家をリサーチして、家をこさえて、近所のお母さんから植栽もらって華やかに。使わなくなった椅子をもらってゴロンと空を眺めて鳥の数を数える。屋上からは馬喰町の駅が見下ろせて出勤と家路をたどる人の風景を見て、無駄に手を振る。

駅前から丸見えだった僕らの暮らしは駅を使う人の注目をあつめて、一度遊びに来た人は今度ご飯もってくるね、とか、ホームレスだけどホームはあるし、お金も使わず1ヶ月そこで過ごした。壁には手書きの地図があり、ここに銭湯があるとか、ここに公園があるとか。小学生が遊びに来てゲームをしたり、地域の人が遊びに来て軽いユートピアみたいな空間が生まれた。

あの時、僕は高校の時に出会ったホームレスとの時間を思い出していた。
いつもより低い視点で人を見る。
今は、いつもより高い視点で人を見る。
強いも弱いも何もない。あるのは見る人本人の視座のあり方でしかない。

多くの人にお世話になって人生で多くの学びを得た期間である。
このとき、僕に形成された価値観が今もなお生きている。
それを表現した言葉が「常に弱者たれ」という言葉だった。

なので年上でも偉い人でも、年下でもうまくいってない人でも
僕の中では同じ人である。偉いも何もない。自分ではない興味深い他者である。大人になると人伝の噂をよく聞く。その大半が悪口だったりする。それが自分の知り合いなら尚更気味が悪い。人を悪くいうことで自分を守る。これが人の性だとしたら、人間はもともと弱者しかいない。その中で最も弱い人間が身を守るために自分を強く見せているだけなんじゃないか。

僕の知ってる弱者と呼ばれている人は、柔らかく優しく自分に厳しく謙虚である。自分より人のことを優先し、自分のことは自分でなんとかしようと努力する。僕はそういう人に憧れている。

お金がいっぱいあるとか、すごい勲章の数とか、有名であるとかどうとかどうでもいい。

強い人にはなりたくない。今はただただそう思う。

Photo by Nicole Law from Pexels

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。