生きながら10代に葬られ〜正しい青春を送れなかった人へ〜第18話〜

「HIV訴訟を支える会」に関わるようになってから、私は毎週末、厚生省に足を運んだ。厚生省に行かない日は、東京の街角で、署名運動をした。
渋谷のスクランブル交差点の前で、私は私服を着て、立っていた。一生懸命、歩いている人に声をかける。
「薬害エイズ事件の被害者のために、署名をお願いします!」
当時、まだ薬害エイズ事件はそんなに有名ではなかった。それでも、街中の人は署名してくれた。私自身、署名運動の人に声をかけられて署名をしたことなんてないのに。

薬害エイズ事件とは、血友病という血液が固まらない病気の患者さんが、アメリカから輸入されたHIVウイルスが入っている血液製剤を使用してHIVに感染してしまったという事件だ。しかし、この血液製剤にHIVウイルスが入っていると知りながら、厚生省は販売を許可した。それは、製薬会社と国がお金のためにしたことである。国は、HIV感染者を「セックスでうつる病気、同性愛者がかかる病気」というキャンペーンを貼り、HIVに感染する人は、自分たちの責任でかかるのだ、という意識を民間人に与えた。実際に、日本でHIVに感染したのは国が輸入した血液製剤を使った血友病の患者たちだったのだ。

署名運動を終えると、みんなで事務所に行って休憩をした。私はHIV訴訟を支える会(通称「支える会」)の中では一番年下だった。女子高生ということもあって、みんな気にかけてくれたし、優しく話しかけてくれた。そして、広末さんや、一部の人たちと仲良くなった。みんな当たり前のように音楽はフリッパーズギターを聞いていたし、ジャニス・ジョプリンは常識だった。私の学校では両方ともみんな知らなかった。映画の話や漫画の話、いわゆるサブカルチャーの話がたくさんできた。黒澤明や小津安二郎の話ができることは、私にとって喜びだった。思えば、私はずーっとこういう話を誰かと話したかった。私はクラスの人たちがなんの音楽を聞いているのか知らなかったけれど、多分、私が好きなのと、違う音楽を聞いていると思っていた。一度、クラスの中で、一番カーストの高い女子が「これ聞く?」と私に向かって、ぽいっと「カーディガンズ」のCDを渡してきた。カーディガンズは流行っているおしゃれな歌手で、正直、どうでも良かった。多分、あの子たちは私がカーディガンズを知らないと思って渡してきたのだと思う。私もそれくらいは察することができる。そのほかのクラスメイトは本気でBzが好き、みたいな子達だった。
私は学校をヒョイっと離れて、違う価値観のところに踏み込んだ。私はこっちの世界では息ができた。そして、自分がみんなと同じ大学生でないことが寂しかった。けれど、私のそういう気持ちを和らげることができるくらいに、みんな気さくで優しかった。

厚生省の周りで手を繋いで一周するという抗議デモが行われ、私もそれに参加した。薬害エイズの被害者、家族、支える会のみんな、それ以外に、呼びかけて集まったたくさんの人、人、人。私は見知らぬ人と手をつなぐ。ただ、繋がっているのは「厚生省が許せない」という気持ちだけだった。家で、テレビの前で怒っているだけでは世の中は変わらないのだ。何百人のもの人が集まり、街宣カーの上で被害者が訴える。警察官たちは私たちの行動を監視している。私の胸はドキドキと高まっていた。学校とは全く違う非現実的な状況に興奮していた。まだ17歳の私にはとても刺激的な出来事だった。

支える会で知り合った広末さんとは個人的に親しくなって行った。支える会では真っ先に広末さんに会いに行ったし、広末さんも駅まで私のことを迎えにきてくれた。当時、ポケベルが流行っていて、みんな友達同士で、メッセージを送りあっていたが、私はそんな相手がいなかった。みんな休み時間になると、公衆電話で文字盤を叩きながら、友達にメッセージを送っていた。私は対岸で起こっているようなこととして、眺めていたが、私にもポケベルを打つ相手ができた。広末さんである。広末さんと連絡を取るために、数字でひらがなを入力する方法を覚えた。私は学校の友達とは友情を築けなかったが、広末さんとだけ友情を築けた。二人で会って話すと、いつまでも話が尽きなかった。自分でも、自分の中にこんなに言葉が眠っていると思わなかった。広末さんを私の家に招待したことがある。日曜日に彼女は私の団地まで来てくれた。私の漫画だらけの部屋に上がって、ジュースを飲みながら、お菓子を食べて、笑いながら語り合う。その時、広末さんは私の机の上にあったドストエフスキーの「罪と罰」を見て、「すごいね。私の友達は難しくて読めなかったって言ってたよ」と言った。私は「そんなに難しくないよ」といいながら、嬉しかった。広末さんはW大学で、法学部なので、とても頭がいい。その人から「すごい」という言葉をもらえたのは私の自尊心をくすぐった。なんだか、くすぐったくて、ちょっと居心地が悪い。私は今まで誰かに褒めてもらえたり、尊敬をされたことなどない。私は、学校の先生からは問題児として扱われ、クラスメイトからは下に見下されていたのだから。

広末さんと話していると、私の父親が、部屋着のまま、日本酒を片手に私たちの前に現れた。
「いやー、エリコから広末さんのことは聞いています。」
と父は言いながら、酒を注ぎ始めた。私は家で、広末さんがとても面白くていい人だということを話していたのだ。父は酒を注いで、おつまみを持って来て、自分がしたい映画の話をし始めた。相変わらずの父親だったが、広末さんはきちんと父の話を聞いていた。そして、後日、「エリコのお父さんは面白いね」と言った。確かに、うちの父は面白い。映画の知識や音楽の話などを聞くと、聞いていて飽きない。けれど、父親としての素質があったかどうかは不明だ。けれど、屈託無く私の父を褒めてくれる広末さんは良い人なのだと思う。頭も良く、人格もしっかりしていて、礼儀正しい。
私の父や母は、
「広末さんみたいなすごい人がエリコの友達になってくれるなんてすごいわね」
と言った。私に対してそれは失礼だと思ったが、怒るのはみっともないのでやめた。
私は広末さんの学歴が好きで友達になったのではない。広末さんの話の面白さ、人柄の良さに惚れたのだと思う。それに、私は通っている学校で人の上下を決めるのはみっともないことだとずっと考えていた。頭のいい学校に通っていようがいまいが、人としては同じであり、そこで序列をつけるのは良くないことだ。本当に大切なのはその人がどんな人間かである。正しく物事を見て、礼節をわきまえ、思慮深く行動する。それができているのだったら、どんなに勉強ができなくても構わない。私にとって広末さんは尊敬すべき友人だった。彼女は人に対して、悪口を言ったり、バカにしたりと言ったことが一切なかったし、人に対して気を使うことができる優しい人だった。もちろん、それは彼女の育ちの良さであり、それゆえの学歴の高さかもしれないが、彼女を敬うには十分だった。


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生きながら10代に葬られ〜正しい青春を送れなかった人へ〜

いじめ、学級崩壊、全く幸せじゃなかった10代。恋愛したり、友達と海に行くとかそういったことができなかった人に読んでもらいたい。
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