お正月が明けて仕事初めの日に上の人に声をかけられた。 

「うちの職場で非常勤雇用で働いてみない?」 

 私は非常勤雇用という言葉が分からなかった。尋ねてみたらアルバイトというかパートのようなものだそうだ。時給で働いた分だけお金がもらえる。私はとても驚いた。そして、嬉しくて仕方なかった。漫画はまだ作り途中である。でも、私が日々こつこつ働いていた事が評価されたのだ。もちろん二つ返事でこの話を受けた。

  一月二五日、私は約一〇年ぶりにお給料をもらった。小さな給料袋には私の名前が書かれていた。ああ、そうだ、お給料袋って小さいんだよな。昔、仕事をしていた時にもらった給料袋を思い出した。小さな茶色の袋から給料明細を取り出す。会社の名前と私の名前が書かれている。そして、私の働いた時間。時給。通勤手当が書かれている。その他にもいろんな項目があるが私にはよくわからない。一月の八日から一五日まで働いた時間が書かれていた。そして働いた分のお給料の金額が書いてあった。

  私は帰り道に銀行に行き、早速記帳した。きちんと振り込まれていた。当たり前の事だけれど、泣きたくなるくらい感動した。だって、この私が、お給料をもらうことができるようになるなんて誰も想像しなかった。

  私が実家にいて自殺未遂を繰り返していたのは、今思えば働く事ができず、母親の庇護を受ける自分が嫌だったからだ。家庭の事情で実家にいられなくなった頃、クリニックのスタッフから「クリニックの近くに引っ越してきて一人暮らしをしなさい」と何回も電話がかかってきた。クリニックのスタッフは「一年後には社会復帰できるようにします」と母と約束した。なぜ一年後かと言えば一年後には私の父親が定年退職をしてしまい、金銭的な援助が受けられなくなるからだ。そのための猶予だった。だが、クリニックは私を社会に戻すどころかクリニックに縛り付けた。「デイケアに通いなさい。通えないようじゃ社会復帰できない」と言われた。

  私は週五回通った。何もする事がない精神科のデイケアは退屈だが通い続けた。まじめに通い続けた私はクリニックにとって都合のいい人間になっていた。私はデイケアのプログラムでリーダーを任されたり、進行役を任された。新しくデイケアに来た人は私のことをクリニックのスタッフだと思っていた。

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