生きながら10代に葬られ〜正しい青春を送れなかった人へ〜第7話

3年生の春、新しいクラスになった。私をいじめていたバスケ部の子と離れ離れになったのでホッとした。新しいクラスにたいして、特に期待はしていなかった。一緒になったら嬉しい友達もいない。ただ、3年生になって、私を取り巻く環境が少し変わった。私と普通に話してくれる生徒が何人か現れた。それは、私が学級崩壊という生徒にとっては少し尊敬することを起こしたからだと思う。人生は皮肉だ。学校は私をいじめから救ってくれなくて、学級崩壊を起こした私は学校から厭われたが、結果的にクラスメイトからは慕われることになったのだ。いじめられている人に、何かアドバイスをしなければいけないとしても、学級崩壊を起こせとは言えないが、結果的には救われてしまったのだ。

私はテニス部の凛子ちゃんと仲良くなった。凛子ちゃんは色素の薄い髪の毛をしていて、大きな口でガハハと笑う面白い子だった。クラスの男子生徒が持ち込んだジャンプを勝手に読んで一緒に爆笑したりした。私は人生で初めて友達ができた。家に帰ってからも長電話をして、いつも笑っていた。箸が転がってもおかしい年齢とはよく言ったもので、担任の寝癖が酷いくらいのネタで笑い続けた。
そして、凛子ちゃんと仲が良い藍ちゃんとも仲良くなった。私は藍ちゃんや凛子ちゃんやその他のクラスメイトと一緒に写真を撮った。「写ルンです」で撮られた私は、友達と一緒に笑っていた。去年はスカートを捲り上げられて、1人だけブルマの姿の私とクラスメイトが撮った写真しかなかったのに。私は学級崩壊を起こしたことで、一つ上のグループに入ることができたのだ。

友達ができたけれど、相変わらず私の趣味は暗いままだった。部活に入っていないので、家に帰ったら、ずっとスーパーファミコンをやっていた。当時、ストリートファイター2が大流行していて、私は家で練習ばかりしていた。対戦相手はコンピューターか兄しかいなかった。スト2をやっている女子は周りにはいなかった。私は学校でもスト2の話ばかりしていて明らかに浮いていた。


音楽で好きなのはロックだった。父が教えてくれたジャニス・ジョプリンに衝撃を受け、CDを買い、ライナーノーツを読み漁った。ジャニスに関わったアーティストを知るとそれも聞くようになった。そのことは学校では一言も話さなかった。多分、誰も自分と同じ音楽を好きではないという確信があったからだ。友達の藍ちゃんが好きなアーティストはチャゲ&飛鳥だった。

私はこの時期に、友達と合わせるということを学んだ。トイレに一緒にいかなければならないし、友達が好きなものを好きと言わなければいけない。そうしないとグループの中で生活するのは難しいのだ。私は藍ちゃんから誘われてカラオケに行ったけれど、自分が歌いたい曲は一曲も歌わないで、藍ちゃんと一緒にチャゲ&飛鳥のyah yah yahを歌った。当時は邦楽ではブルーハーツが好きだったけど、それも誰にも言わなかった。

凛子ちゃんとは相変わらず仲良しだった。暇ができると、凛子ちゃんの家にアポ無しで行くこともあった。凛子ちゃんは親が離婚していて、洗濯物を干していた。私はその間に凛子ちゃんの飼い犬の散歩をしていた。凛子ちゃんは私のように漫画をたくさん読んではいないけど、なぜか天才バカボンを全巻持っていて、私はなんだかちょっと嬉しかった。当時、赤塚不二夫を読んでいる人は周りにはいなかった。

友達ができて嬉しかったが、いちいち話を合わせるのに苦労した。「チャゲ&飛鳥がPVの撮影をした、袋田の滝に行きたい」という藍子ちゃんの話を真剣に聞かねばならなかったし、しまいには、チャゲ&飛鳥のコンサートにまで行かなくてはならなくなった。恥ずかしながら、私の初コンサートはチャゲ&飛鳥である。中学生ということもあり、代々木体育館で歌うチャゲ&飛鳥にちょっと感動してしまった。時々、チャゲのギターがキラキラ光りを反射した。だが、短大生になって、友達といった少年ナイフやイースタンユースのライブの方が断然面白かったので、多分、私はチャゲ&飛鳥の側ではないのだと思う。

3年生で友達ができたけれど、遊んだ記憶はあまりない。なぜなら私たちは受験生なので、友達と遊んでいる暇があまりなかった。私は休み時間も、家に帰ってからもずっと勉強していた。高校を少し学力の高いところを目指していたのだ。なぜかというと、中学の同級生は普通くらいの学力の同じ市内の高校になだれ込むように進学するからだ。私はなるべく、中学の自分を知らない人たちのところに行きたかった。自分たちの高校からは10人くらいしか行かないような辺鄙なところにある高校に決めた。そこは、下りの電車に20分乗って、駅から自転車で30分も漕がないと着かない高校だった。不便さからあまり進学する人はいなくて、いい点といえば制服が可愛いくらいだった。

受験を控えて、担任に呼び出された。担任は真剣な顔で私に言った。

「小林、お前は、学校を休みすぎて、卒業日数に届いていない。けど、こっちの方で、うまくやっといたからな」

びっくりした。確かに病気でたくさん休んでいたけれど、卒業できないほどだと思わなかった。学級崩壊まで起こした私に、学校は恩情をくれた。

私は必死に勉強して、第一志望に合格した。テニス部の凛子ちゃんも私と同じ高校を選んでいた。凛子ちゃんも無事に合格して心の底から嬉しかった。

3月の卒業式、桜がひらひらと舞う中、私は白いネクタイをひらめかせながら、喜びに打ち震えていた。この学校とやっとお別れで、クラスメイトたちともさよならだと思うと、胸の中にふくふくとした感情が湧き上がる。時々、すすり泣いている声が聞こえた。別れが悲しいなんて羨ましい。

卒業式が終わって、クラスに戻ると担任から卒業アルバムが渡された。その最後のページにみんなお互いにメッセージを書きあっていた。私もみんなに「書いて!」とお願いして書いてもらった。クラスの女子は笑いながらメッセージを書いてくれた。
「ブスエリコ。元気で!可愛い〇〇より」
「ブスエリコ。ちゃんと学校行けよ。可愛い△●より。」
「ゲームやりすぎると、頭がクルクルパーになっちゃうよ!」
私は「あれっ?」と思った。みんな冗談にしては私のこと、ブスって書きすぎている。私はこのクラスでブスだと言っていじめにあったことはないのに。そして、冗談にしては少し辛辣すぎるコメントばかり書かれた。私はブスが大量に書かれた卒業アルバムを大事に手にして卒業した。私はこの時、自分がクラスメイトから排除されていたと気がつかなった。30を過ぎた頃に、この卒業アルバムを発見して、私は泣きながら引き裂いた。私はいつまでたってもみんなの仲間にはいれてもらえなくて、最後までひとりぼっちだったのだ。

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生きながら10代に葬られ〜正しい青春を送れなかった人へ〜

いじめ、学級崩壊、全く幸せじゃなかった10代。恋愛したり、友達と海に行くとかそういったことができなかった人に読んでもらいたい。
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