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「強みは、弱みの裏返し」を実感できない理由

前書き

今、コーチというあり方を生業としています。

どんな人でもその人なりに持っている才能と強みにフォーカスしたコーチングを提供しています。

元々半導体製造のエンジニアだった私が、コーチとして独立するに至るまでには、いろんな経緯がありますが、振り返ってみれば、そこには常に自分の才能と強みが共にいました。

人それぞれに、必ずその人なりの才能があり、その才能を無意識に活かしている強みがあります。

このnoteでは、自分なりの強みに気づくための考え方、そしてその強みを最大限に活かしていく方法について書いていきます。

「強みは、弱みの裏返し」を実感できない理由

「強みは、弱みの裏返しである」と聞いて、皆さんはどう思いますか?

多くの人は、それを真っ向から否定はしないと思います。

でも、その後に「でも…」と続くことはないですか?

つまり、頭ではわかっていることが、実際にはなかなか実感できていないのです。

それはなぜかと言えば、自分には弱みがないと困るからです。

意味がわかりませんよね?

では、次の文章を読んでどう思いますか?

「何かに向けて“頑張っている”と(から)、認めてもらえる」

この言葉に違和感を抱かない人は、多いと思います。

では、それが「強みは、弱みの裏返し」を実感できない理由は何かと言えば、自分の強みを認めてしまうと“頑張らなくてよくなってしまう”からです。

なぜならば、強みというのは、その人にとっては“頑張らなくても”当たり前にできてしまうことだから。

つまり、自分の強みを認めてしまうと、頑張れなくなるから困る訳です。

頑張る=認めてもらえる

の無意識の思い込みが、自分で自分の強みを認識することを阻害しているのです。

おかしな話しですよね?

でも、多くの人が実はこの罠に陥っているのではないかと思います。

そして、日々自分の強みには目を向けず、自分の弱み=苦手を克服しようと頑張ってしまうのです。

苦手を克服しようとするのは無駄

では、自分の持つ苦手は、努力すれば克服できるものなのでしょうか?

実は、決してそんなことはないのです。

例えば私の場合、小さい頃からいわゆる引っ込み思案で、あまり自己主張をするタイプではありませんでした。

子どもの頃は、時々やってくる親戚のおばちゃんに連れられて、今でいうファミレスみたいなところに行った時、「何食べる?」と訊かれて、いつも答えは「何でもいい…」でした。

そのおばちゃんには「茂雄は『何でもいい』しか言わないからつまらない」とよく言われたものでした(^_^;)。

私にとって、その自己主張が苦手な部分は、長い間(何十年もの間)コンプレックスであり、何とかしようと頑張ってきた部分でもあります。

会社員時代も、普段なかなか言えないことを、今日は絶対伝えようと覚悟を決めて臨んでも、いざその本人を目の前にすると萎えてしまったり…。

ついぞ、その部分が“直る”ことはありませんでした。

きっと皆さんも、そういう経験があるのではないでしょうか?

弱みではなく、強みに目を向けた方が生産的

結局のところ、自分の弱みに目を向け、それを克服しようとするのはまったくの無駄なのです。

それどころか、むしろ自分に大きなダメージを与えます

自分の弱みに目を向けるのは、要は自分のダメなところを見続けるという行為です。

ある意味、自分へのダメ出しを繰り返し、自分はダメな人間であると刷り込み続けているようなものです。

つまり、弱みに目を向けている限り自己肯定感は下がる一方なのです。

一方、自分の強みに目を向けることは、自分の良いところに目を向けることであり、当然ながら自己肯定しやすくなります。

ここは、詳細には触れませんが、自分の良いところを認め受け入れるだけが自己肯定感が高い状態ということではありません。

でも、強みに目を向けた方が自分を肯定しやすいのは事実です。

そして、ここで言っている強みとは、何も特別なものではないのです。


次回は、上で書いた当たり前の強みに気づく方法について書きます。

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