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【古代中世言語をやっている人ゆえのつぶやき】AIを巡る予測が古代宗教と親和していることをキチンと指摘してくれた『虚妄のAI神話』

以下のハヤカワ書房さんのnoteにて『虚妄のAI神話』というノンフィクションへの解説が本日掲載されていました。AIの話にそんなに詳しくない私ですが、古代ギリシア語や中世ラテン語に埋没して生活している身として、たいへんな驚きを受けた部分があったので、この話題をさせていただきます。

本書はフランスのジャン=ガブリエル・ガナシアさんが書いた本ですが、「AIについてシンギュラリティなどは来ない」「AIを巡る議論は、シンギュラリティどうこうとかいうことでなく、もっと地に足のついた議論をしよう」という主張。

それだけなら珍しくもないかもしれませんが、この本の解説を読む限り、

AIを巡るシンギュラリティの思想は、実は一神教の発想から出ている宗教的なものなのだ。特に古代のグノーシス主義の発想そのままなのだ。

という主張を検証してくれている本とのこと。

私にとって何が驚きだったかというと、私も過去にnoteでヨハネの黙示録を読み解く仕事をした記事や、ヨハネの黙示録に紛れ込んでいる終末論的な発想が怖いという記事を載せてきましたが、AIを巡る議論でしばしば出てくる、

AIのシンギュラリティによって人類は次の高度な文明に到達し、その時、テクノロジーに適応した者は生き残るが、テクノロジーに適応できない者は絶滅するか、少なくとも未来の貧困層になって取り残されていくであろう

という発想は、まさに古代一神教のいちばん過激な発想「信じる者どうしの教団が終末をいきのび、そのとき、信じなかった大多数が滅んでいるのを高見の見物できるであろう」という論理と同じじゃないかな、と思っていました。

この本の著者はグノーシス主義との類似を指摘しているわけで、私はむしろ「一神教の根っこにある発想」そのものがシンギュラリティと類似していると思っているわけですから、ニュアンスはずいぶん違いますが、

私がもともと気にしていた「一神教過激派の発想とAIの先端の議論がよく似ているな」という直観と似たようなことを言ってくれている人が出てきたことに、ちょっと勇気づけられたところがあり、背伸びをしてAIの話などをさせていただきました。

AIが今後どうなるかはわかりませんが、「AIに適応した者たちが生き残り、できない者たちは置いて行かれるぞ、(だから)君もAIに適応した者たちグループに入りなさい」という系統のロジックがあふれていることには、「いや、AIを巡る問題って、そういう問題じゃないから・・・」とツッコミを入れられる準備は、普段からしておいたほうがいいのではないかと思った次第でした。

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!