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【古代ギリシャ語・ラテン語学習者のつぶやき】表現力の豊かさで勝負ができるということ:古代VS現代

職場の人間関係についてある女性から相談を受けたときに感じたこと。

その人はマンガを描いたり小説に興味があったりする人だとは知っていたのですが、表現力が確かに素晴らしいなと思いました。話題が人間関係についての相談でも、いかにも本人が正義で相手が悪人みたいに聞こえる。完成された物語になっているわけです。本人も無意識にそう語っているわけですけどね。

私自身もnoteをやったりライターをやったりしているわけなので気づいてしまうわけです。「いかにも相手が悪みたいに聞こえるけど、これはこの人の表現力が豊かなだけであって、公平な見方じゃないかもしれないな」と。

そこで、彼女の物語の中では悪人になっていた男性のほうへも、後でそっとヒアリングに行ってみたのですが、いやもう、こっちは表現力がへたくそでw。彼には彼なりの言い分がちゃんとあったのですが、それを聞き出すまでが大変でした。

ともあれ、両方の話を別個で聞いたのは、やっておいて、よかった

感じたこと。

【1】今の世の中、やっぱり表現力の豊かなほうが何かと有利だと思ったこと
【2】でも、「これは主張している人の表現力が豊かなだけであって、表現力の下手なほうの人の主張も聞いてみないといけないな」と思いつくのも、表現力に敏感な人であるということ
【1】【2】よりの結論:SNSを含め、やっぱり万人が表現の場を持っており、万人が「表現」というものを磨ける今の世の中は総体としては正しい方向に向いているのではないかな

少なくとも、権力者の恣意的な判断で善悪が決まったり、そもそも「表現していい人と表現が許されない人」が階級で決まっていた中世に比べれば、「表現力で勝負!」ができる現代のほうがいいには決まっています

※「ゆえに表現の自由はできるだけ制限なく保証されるべき、『表現』を聞いてそれをどう評価するかは聞いた人が判断するべきなのだから」という政治的テーゼにもつながるわけですが。最近のニュースの話題でもありますが

ハッ!

となると、古代ギリシア人や古代ローマ人の間で「詩のつくりかた」や「弁論術」が流行だったのも似た発想だったのかもしれないな、とも思ったり!

古代ギリシアや古代ローマでは奴隷や外国人には表現の場などなかったわけだから現代のほうがいい時代には決まっていますが、「詩のつくりかた」や「弁論術」が大切なたしなみとして重宝されていた社会というのは、またしても、「古代社会おそるべし」という結論になってくるのでした。

考えてみれば古代ギリシア哲学の「ソクラテスの対話」なんて、まさにSNSのある現代にこそ向いている発想かもしれませんしね。「宇宙」とか「存在の意味」とかいう壮大なテーマについても、研究室で論文を書きながら考えるのではなく、市井に出ていろんな人に議題をふりむけて、会話の中でロゴスを磨いていこう、というのがソクラテスの方針だったわけですから、、、!

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!