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【ビジネスマン必読書『君主論』全文を統計解析してみました】第8回:読解のキーパーソンとして出現頻度一位の「この人」の生き方を追おう!

前回の記事で、『君主論』全文中の登場頻度1位~4位の顔ぶれについての考察を行いました。

今回からはその続きとして、1位・2位を独占した「ボルジア親子」、3位のルイ12世に代表される「フランス王家」、4位の「教皇ユリウス2世」それぞれのキャラクターとポジションを詳細に見ていくことにします。

というのも、この四人の力関係がわかると、『君主論』におけるマキャベリの人物評価のスタンスもわかり、かつ、当時のイタリアの権力抗争の全貌も見えてくると思うからです!

まず今回は、『君主論』における登場頻度一位のこの人のことを詳細に見ていきましょう!

「この人」チェーザレ・ボルジアこそ『君主論』の表の主人公か!?登場頻度も評価も特別扱い!

そもそもチェーザレ・ボルジアとは何者だったのか?

キャラクター描写としてわかりやすく魅力的に描けれていると思うのは、『君主論(まんがで読破)』(イースト・プレス)での描写と思います。

『君主論 (まんがで読破)』(イースト・プレス)より引用

日本史でいえば織田信長に似ている人物、となるでしょうか。

いくつもの君主の領土に分裂していたイタリアの中の一勢力として登場しつつ、周囲の領土をどんどん侵略して併合し、あわやイタリア統一に手がかかるか、というところまで行った人物です。

その行動はまったく予測不能。優しいかと思えば残虐なこともするし、寛大かと思えば突然ひどい裏切も仕掛けてくる。

優秀で頼れるリーダーだが、どこか恐ろしい独裁者でもある、というイメージも、織田信長に似ているかもしれません

『君主論 まんがで読破』でも、そのあたりの善悪一体な感じがよく出ています。以下などは名場面ではないでしょうか

『君主論 (まんがで読破)』(イースト・プレス)より引用

このあたりの描写は、『君主論』第17章の、以下の有名なくだりを反映してのことでしょう(日伊対訳で引用します)。

・(君主たるものは)愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である
・è molto più sicuro l’esser temuto che amato

他にも君主論の第17章は、チェーザレ・ボルジアのリーダーシップを評価する、以下のような言及に満ちています。

「チェーザレ・ボルジアは残忍な人物とみられていたが、この人物が支配した土地では秩序が回復し民衆の生活は守られたのだから、むしろ慈善的な君主であったとみることもできるのだ」

「たとえばフィレンツェのような共和制の国では、残忍な政策をとれないがゆえに、民衆の生活がどんどん悪化するという事態に何も手が打てない。これに比べればボルジアのような独裁者のほうがよいともいえるのだ」

「それゆえリーダーたるもの、他人から残忍だとののしられることはまったく気にしなくてよいのだ」

つくづくマキャベリの世界観は凄いなと圧倒される筆致ですが、現実の一面を突いている発言であることも確か。

その他にもマキャベリのボルジアに対する言及を見ると、

「新君主にとって、この人物にまさる指針は考えられない」
「ひどい運の悪さに見舞われなければ、彼はもっと成功していたはずである」
「この人物の行動はほかの人も模範としてしかるべきと思う」
「とにかくおどろくほどの力量の人だった」

云々。もはや手放しの賞賛と言っていいレベル。

チェーザレ・ボルジアこそ、『君主論』の中で特別扱いを受けている人物といっていいでしょう。

マキャベリのチェーザレ評価に、かすかに潜んでいる「迷い」とは?

マキャベリの診断では、チェーザレの父親であるアレクサンドル6世がローマ教皇に選出されたという幸運が、この麒麟児を歴史の表舞台に立たせたということで、

親のおかげという幸運の持ち主

としています。それでいて、

しかしその幸運をきっかけに一気に成功への道を駆け上がった、決して運だけではなかった力量ある人、

というフォローも入れているのが総評となります。

そこまで絶賛されているチェーザレ・ボルジアですが、実は結局、イタリア統一には失敗し、若くして失脚した上に悲劇的な戦死を遂げています。

これほど絶賛している英雄のこの末路について、マキャベリはどう説明しているのでしょうか?

この点についてのマキャベリの説明は、ちょっと矛盾した印象を与えるものになっています。

・これからという肝心な時に病気になってしまったという、運の悪さのせいで失脚した
・政敵であるはずのユリウス2世をあっけなく教皇に就かせてしまった、これはチェーザレの生涯最大の失敗だった

「運が悪かったせいだ」と言っておきながら、「政敵に対して油断したという致命的なミスがあった」とも言っている。

このあたりに、「チェーザレ・ボルジアを一大英雄」としてヨイショしたいにも関わらず、どうしても「その政敵たちもなかなかだった」と言わざるを得ないマキャベリの筆致の迷いを感じます。

『君主論』というと、チェーザレ・ボルジアを君主の模範として書いている本に見えてしまいますが、彼がなぜ失敗したのかの「しくじり先生」としての読み方もしないと、マキャベリの正確な人物評が抽出できない、ということでもあります。

大胆に読み解けば、『君主論』の背景にあるのは三勢力による「三国志」構造である!

前回の記事で作った共起性ネットワークを見る限り、君主論の登場人物たちの中で全体の結束点となっているのは四人でした。

この四人を三勢力としてグルーピングすると、以下のようになります。

1、チェーザレボルジアとその父(ボルジア親子)

2、教皇ユリウス2世

3、国王史ルイ12世に率いられたフランス

この三勢力による「中世イタリア三国志」としてみれば、チェーザレ・ボルジアがどうして活躍できたのか、そしていいところで失敗したのかが見えてきて、『君主論』の肝要なポイントが掴めるかと思います。

ぶっちゃけ、『君主論』を読むにあたり、この三勢力以外の連中への言及は気にしなくてもよい、というのが私の結論でもあります。

次回の記事で、この三勢力についての詳細な考察を行なっていきましょう!

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!