見出し画像

【古代中世言語をやっている人ゆえのつぶやき】ドイツ哲学者ニーチェの本職は古典ギリシア文献学だったことがあまり知られていない件

ドイツの哲学者ニーチェ。日本でも特にクリエイター気質の方に人気のように思います。たしかに、難解ながらもどこか読む人を「奮い立たせてくれる」ような思想家であることは確かです。

ですがここでも、古代ギリシア語やラテン語に埋没した生活をしている者としてヒトコト。

実はニーチェの本職は哲学教授ではありません

彼は大学教授でしたが(結局はすぐ辞めちゃうけど)、ポストとしては「古典文献学の正教授」です。そして専門は古代ギリシアの文献研究。

19世紀のドイツでは古代ギリシアといえば「立ち返るべき憧れの世界」でしたから、大袈裟に言えばこのポジション、戦前の日本における古事記・日本書紀研究の第一人者みたいに国家の方針にも適っていた花形学問だった

これをあっけなく蹴って流浪のアマチュア哲学者としていわば極貧フリーライターに転身したニーチェのパンクぶりは本当に凄いですがw、

ここで私が言いたいことは、難解と言われるニーチェ哲学も「古代ギリシア精神の復活」という大構想のもとでやっていたと見るとわかりやすい、という指摘です。

そしてニーチェが「古代ギリシアにあって、現代ドイツにないもの」と指摘した論点は、現代日本にとっても有効な指摘と思います。すなわち、

ニーチェ「みんなが古代ギリシアは理性的で楽天的な時代だという大前提でいるけど、どう見たって戦争や奴隷、政争や陰謀、疫病や災害あふれる残酷な時代だよね。ということは、古代ギリシアの真に凄いところは、そういう現世の残酷さを直視しても生を肯定する芸術や哲学を作り続けていた精神のタフさじゃないの?残酷な事件があると来世に逃げちゃう中世人より、残酷な事件があると『科学や医学や政治がもっとよくなればこういう不幸も減っていくのだから』と未来に希望を先延ばしちゃう現代人より、よほどタフだった。だからその真髄を、むしろ残酷な古代ギリシア悲劇から学ぼう」

それに対して「古代ギリシアが残酷な時代だったとはナニゴトだ!古代ギリシアとは無菌で高潔な理想郷だったはずだ!」と激怒したのが当時のドイツの学界で、ニーチェはハジキにされ、しかしニーチェも自説を撤回せずアホらしくなって大学教授の道を捨ててしまいました。パンクだなあ

そんなふうにニーチェをハジキにした19世紀ドイツの古典教授の本なんか一冊も日本の書店では見かけないのに、ニーチェの古代ギリシア論『悲劇の誕生』は日本語に何度も翻訳され岩波文庫版でフツウに書店に常備されているのを見ると、なんともいろんなことを考えさせられてしまいます。

何はともあれ、まとめとしては、

古代ギリシア語を愛する私としては、「ニーチェ」といえば哲学者というよりもむしろ重要な古代ギリシア学者として見えるし、その側面をもっと知ってほしい、ということと、

「永遠回帰」とか「力への意志」とか、難解に見えるニーチェ哲学の用語も、古代ギリシア文学の壮大なビジョンを現代哲学の中に復活させようという大胆な冒険だったと理解すると、見通しがよくなるのではないかな、というお話でした。

きっとニーチェ先生、冥界ではカントやヘーゲルなどといったドイツ哲学の偉人とは話が合わず、ソクラテスやヘラクレイトスといった古代ギリシアの稀有壮大な方々と仲良く語り合っていることでしょう。

ニーチェが若いころの「古代ギリシア学者」としての活動は、以下の本に集められていて、古代ギリシア好きとしてはこのあたりがとても面白いです!


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!