News from ‟Utopia” Vol.1(?)

 この前の記事で取り上げたバンド「揺らぎ」、そのライブに昨日行ってきました。せっかくなので感想とか考えたこととかを書いてみます。ちなみにタイトルですが、前回の記事で「揺らぎはユートピアをつくる」みたいなことを書いたので、実際にライブハウスでユートピアを体験したから、そこでの新しい発見を書くよ、みたいな感じです。あとこのタイトルは日本語にすると「ユートピアだより」となるんですが、ググれば元ネタがわかります。「Vol.1(?)」としたのは一回で終わりそうだけど続ける意志はあるぜ、というアピールです。では始めます。

 昨日「揺らぎ」のステージを見ていておもったのですが、彼らのパフォーマンスは左右対称になっている。左の二人はどちらかというと静。対照的に右の二人は完全に動。そしてこんな四人がつくりだす音の揺らぎ、それはまずギターの轟音とそれに負けじと荒ぶるドラムの音で、その隙間から漏れ出てくるようにきこえてくる声は心地のよいささやき。音はデカいはずなのに心地よくなり何ならちょっと眠くなる。白い光がフロアに向けられているときそこは完全にもうユートピアという感じでした。

 で、今言ったみたいなメンバーのパフォーマンスにおける「静と動」、あるいは音のレベルでの「楽器による轟音とボーカルのささやき」といった両極があるというのは、「揺らぎ」の本質みたいなものをよく表しているようにおもえました。つまり「揺らぎ」には、「両極にある要素のあいだを往還すること(まさに揺らぎ!)で、それら二要素を両立させる」みたいな特徴があるようにおもえる。このことを彼らのパフォーマンスから改めて、勝手に、感じ取りました。

 また「揺らぎ」の楽曲の歌詞はユートピア志向を持ったとても抽象的な歌詞で、取り付く島もないといった印象を与えます。そして何よりもギターの轟音にかき消されるので、そもそも歌詞を暗記でもしてないかぎりライブではなんて歌ってるかまずききとれないです。でもいつもライブが終わって家に帰っても、轟音のせいで少なくともその日のあいだは耳鳴りがしている。するとその「ピー」っていう音が、ギターのゆがんだ音にきこえてきて今にもまた演奏が始まるような気になってきます。歌詞の内容は日常に寄り添うような、共感を誘うようなものからかけ離れているけど、物理的に耳の細胞を破壊して日常に侵入してくる。こんな日常への寄り添いかたもこれはこれで素敵なような気がしてきました。

 どんどん与太話感が強くなってきたのでこれくらいで終わりにしますが最後に一つ。この文章のタイトルにもいれた「Utopia」という曲があるんですが、この曲ほんとライブで全然やらない。まさに「U-topia(=No-place)」はセトリの中に「場所がない」というわけです。でもそもそも「揺らぎ」は音楽でユートピアをつくりだしているんだから、わざわざ「Utopia」という曲をやる必要もないのかもしれません。これも与太話ですね。以上です。

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