音の揺らぎでそこはユートピアになる。

 少し前まで、「宇宙コンビニ」というバンドが京都にあった。このバンド名はふたつに分割することができる。すなわち、宇宙とコンビニのふたつだ。宇宙はこのバンドの壮大さを、コンビニはこのバンドの身近さを、それぞれ表現している。このバンドはよく、「マスロック」と「ポップ」を融合させたと言われてたのだが、まさに「宇宙コンビニ」というバンド名はこのふたつの要素をよく表していたのだとおもう。

 この「宇宙コンビニ」というバンド、今は解散してしまいもう存在していない。解散の理由はメンバー間の方向性の違いとかそういったものであったように記憶している。これは半分以上妄想に近いものだが、「宇宙コンビニ」における宇宙成分とコンビニ成分の配合比率をどうするのかという点で齟齬が生まれたがゆえの解散と私は理解している。現に、「宇宙コンビニ」のメンバーであった中川大二朗は、その後「JYOCHO」という新プロジェクトを始動させ、現在も活動している。「JYOCHO」は「宇宙コンビニ」のようにふたつの要素が含まれておらず、それらが分裂する恐れもない。また中川のインタビューを読む限りでは、「JYOCHO」という名前は主に宇宙成分を含意しているようにおもえる。

 関西を拠点に活動し、どちらかといえばマイナーな音楽ジャンルの影響を強く受けながらも、そうしたジャンルの枠内にとどまらない楽曲たちが注目を集めている若手バンド。こうした点において、この文章の主役である「揺らぎ」というバンドは、私にとって「宇宙コンビニ」にとても重なって見えた(揺らぎは滋賀のバンドで、シューゲイザーというジャンルからの影響を受けている)。とても興味深いことに、「揺らぎ」のヴォーカルで作詞・作曲を担当するみらこはインタビューで次のように言っている。

「自分で曲を作って、バンドしたいな」と思って、高校1年生の時に軽音部に入ったんです。そこで今は揺らぎを脱退したんですけど、ユウカというギターの女の子がいて。その子と二人でバンドを始めたのがきっかけです。その後メンバー・チェンジがあって、高校2年生の時に、私、ユウカ、前のドラムと今のベースのゆうすけ(Ba / yusuke suzuki)の四人になって揺らぎの原型のようなバンドが出来ました。ただ、その時は全然バンド名も違うし、シューゲイザーというよりかは、シナリオアートや宇宙コンビニみたいな感じの音楽をやっていました。(「【インタビュー】インディーにも、シューゲイズにも属したくない。揺らぎが目指す新しいシューゲイズのかたち」

以下では、この発言を必要以上に大きく受け止め、「宇宙コンビニ」のことを踏まえながら「揺らぎ」を論じたい。すなわち、「揺らぎ」は宇宙成分とコンビニ成分をどう両立させているのか、を明らかにしてみたい。先に結論めいたことを記しておくなら、「揺らぎ」は宇宙とコンビニの間で揺らいでいる、となるだろう。

 「揺らぎ」の最新アルバム「Still Dreaming, Still Deafening」の曲名や歌詞を見てみると、「新しい場所(new place)」、「前に進め(move forward)」、「夢(dream)」、「永遠(forever)」、「到達不可能(unreachable)」などなど、「いまここにない理想的なもの」を志向する表現が多く見出される。これを一言で言えば、3曲目のタイトルにもなっている「ユートピア(Utopia)」への志向、となるだろう。もちろんこれは、「宇宙コンビニ」における宇宙成分に対応している。

 こうした「揺らぎ」のユートピア志向という特徴に加えて、このバンドが空間を作るということを意識しているという特徴を指摘しておきたい。再び先ほどのインタビューからの発言。

「今のところ、音で空間を作るじゃないけど、そういうのは意識的にやっています。」(同上

ここで空間を作るという言い方をしていることは、とても重大に受け止められるべきだろう。というのもヴォーカルのみらこは、大学で建築を専攻しているらしいからだ(これは本人のTwitterアカウントを見ればわかる)。つまり彼女は、そもそも空間を作ることに興味を持っているのであり、楽曲の制作は建築とは別の仕方での空間づくりとして捉えられていると考えられる。

 さらに興味深いことに、みらこは以前ル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館を訪れたことをツイートしていた(たぶん今年の初めごろだった気がする)。ル・コルビュジエに対する一定以上の関心があることが窺える。そしてこのル・コルビュジエの都市計画は、よく「ユートピア」と形容される。先ほど指摘しておいた「揺らぎ」のユートピア志向を踏まえれば、彼女がル・コルビュジエに関心を持っているのにはそれなりの必然性があると言いたくなる。つまり「揺らぎ」は、音の揺らぎでユートピアという空間を作っている。

 ところでそれなりに有名な話ではあるが、ユートピアという語はふたつの要素から成る造語であり、それら要素を分けて訳すと「ない-場所(No-Place)」となる。これを知っていると今さっきの「ユートピアという空間」という表現はかなりめちゃくちゃなものにおもえる。しかしここで、今論じているユートピアが音の揺らぎによって作られるものであるということが効いてくる。つまり、「揺らぎ」が作り出すユートピアとは、目に見える物理的なものが空間を占拠するというのとは別の仕方で作られた理想的な空間なのである。

 以上のような「揺らぎ」のユートピア性は、「宇宙コンビニ」における宇宙成分に対応するものだと述べておいたが、実はより正確に言うと二面性がある、つまりコンビニ成分に対応する要素も含まれているようにおもわれる。さっきまでとは別のインタビューで、「Path of the Moonlit Night」という曲にかんして次のように述べられている。

その静かになる所で、急に地球からビューンって行って大気圏バーッって超えて宇宙に行って、宇宙空間って音聴こえへんから、真空状態にいきなり放り出されるみたいな。で、ドラムの「カッカッ」って音でまた現実世界に引き戻されるようなイメージ。(「/ / 新譜発売記念企画 / / 揺らぎ『Still Dreaming, Still Deafening』全曲セルフレビュー」

この部分ではふたつの方向性が述べられている。すなわち、宇宙へ向かう方向性とそこから現実世界へと戻る方向性だ。もちろん前者は宇宙成分を、後者はコンビニ成分を、それぞれ表している。つまり、「揺らぎ」は音によってユートピアを作り出すのだが、その中には宇宙成分とコンビニ成分との間の絶えざる揺らぎが存在していると言えるのではないだろうか。

 こうした「揺らぎ」におけるコンビニ成分の増加は、OTOTOYの「Still Dreaming, Still Deafening」のレビューにおいて次のように指摘されている。

だが見事に本作では、以前までの揺らぎにあったシューゲ・ポップ的な要素は削ぎ落とされている。それどころか、ある種ブライアン・イーノように、丁寧に構築されたアンビエントの要素さえ感じる。この音楽をはじめて聴いたとき、それくらい“再生”している感覚がなかったのだ。大げさに言えば、環境音に近い。――たとえば、この夏は暑い。遠い景色と、蜃気楼。止まる車に、鳴り出す信号機。その中を歩く群衆の足音や声と、たったひとりの私の鼓動…… といったような、いまいる環境、および空間のすべてが揺らぎの音楽に投影できると思う。(「練り上げられた美しい造形――暮らしに息づく“揺らぎ”の最新作『Still Dreaming, Still Deafening』」

ここで指摘されているように、「揺らぎ」の音楽は壮大な理想を志向するだけでなく、日常の私たちを取り囲み、それに寄り添うという側面をも有しているのだ。当初の問いに戻ろう。「揺らぎ」は宇宙成分とコンビニ成分をどう両立させているのか。答え。「揺らぎ」は音の揺らぎが作り出すユートピアにおける宇宙と現実世界との間の絶え間ない揺らぎという形で、それらふたつの要素を両立させている。あなたが「揺らぎ」の音楽をきくとき、音の揺らぎでそこはユートピアになる。

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