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不吉が服を着て歩いている

 「普通の人」を描く(戯曲の人物として描写するということ)のはとても難しい。まず自分が普通じゃないし。人殺しじゃなくても人殺しは描けるけど、普通の人じゃなければ普通の人は書けないのではないかと思う。異論は認める。少なくとも私には、これが普通ですよ、と自信をもってお出しできる人物は、一生描けないだろう。描こうとはするかもだけど。
  普通の定義が人によってどうだとかいう、陳腐な言説を垂れ流したいわけではない。ただ、私の描く人間が普通でないとすれば、彼らはきっと歪んでいて、狂っていると評されるのもまあ、当然の結果かもしれない。一方で私には、共感というか、理解可能な人間を描きたいという欲求もある。すると、一貫した論理と価値判断をもって人物の行動を組み立てていく必要がある。その結果として、「狂人(くるいんちゅ)が平然と狂っている」という状況になるのだろう。それが作品にとって良く作用するかどうかは、毎度お祈りだ。精進します。

月に対して思うこと

  月が不吉の表象というイメージ、悔しいけどわかる。一方で太陽はあんまり不吉っぽくない。太陽が昼間に隠れている方が不吉っぽい。多分、夜をネガティブに、朝をポジティブにとらえるキャンペーンの一環なんだと思う。これにはあまり加担したくない。朝型人間の権力の肥大はこういうところから始まっていくのだから。
  朝起きるのがつらい、でも可能な限り夜更かしをしていたい。誰も歩いていない夜の住宅街からしか得られない心の栄養がある。そんな私みたいな人間を指して「不吉」と言うのかもしれない。不吉が服を着て、電車に乗り、劇場を予約し、稽古場を仕切っている。でも、不吉は不幸とは違う。不幸じゃないうちは、不吉なんか全部跳ねのけて進んでいけばいいって、もうちょっと早く知りたかった。そうしたらもう少し東京いられたかもな。
  荷造りを、再開します。

高橋敏文

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