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続けること、葛藤

わたしの夢は、カメラマンになること。

将来の夢は?と幼稚園生のころから
問われることはあったが、
いつもパッとしない答えを答えていた気がする。
まあどこかしらで働いて生活しなければならないことは分かっていたけれど、ぼんやりしていた。
他人と違ったことを仕事にしたいと思い、
カメラマンを本格的に目指したのは高3の頃。
ここまでの夢は叶っているが、
いまの自分の葛藤を文字に起こしてみる。

きっかけは、中学生の頃の私に、
父がiPhoneを持たせてくれたことから。
それは、ガラケーからスマートフォンや
iPhoneが全世界に普及し始める頃、
iPhone3GSという
丸っこいフォルムのiPhoneだった。

その掌に収まる小さな液晶画面には、
無数の情報が詰まっていたし、
特に写真はデジタルが普及し、
合成やレタッチが施された写真でも溢れていた。
もちろん14,15歳のわたしがそんな写真を、
合成写真と見抜けるはずがない。
カメラで撮ったらこうなるんだ、
こんなに素敵なものが撮れると信じていた。

高校生になってから、パソコンで
Adobe Photoshopなどで、
写真データをいじったら合成ができることや、
写真の色、CGのようなことができることを知った。
カメラの設定はマニュアルで撮るべきだということと50mm単焦点で写真を始めるべきだという情報を見て、オートで撮ることはほとんど無く、
50mm単焦点を一番愛用した。(今もだけど)

今すぐにでも綺麗な写真を撮りたかった
中学生の頃のわたしは、
カメラがすぐに欲しかったし、
初めてのマイカメラは、
LUMIXの薄型のデジカメを誕生日プレゼントに
おばあちゃんに買ってもらった。

もちろん自分がシャッターを押して撮った写真は、InstagramやSNSで見るような写真とは程遠く、
思い通りに撮れなかった。
だけど、深くカメラというものに惹かれ、
写真を辞めることはなかった。

それはわたしが撮ったものじゃなく、
カメラがそういう風に映してくれる
有能な便利な機械だった。
だから言ってしまえば、
"誰が撮っても、綺麗に映るツール"だ。

ただ撮りたいと感じたとき、
カメラを持ち歩いて、自分のカメラで写真に収めた。
今で言うインスタ映えや、
色味のある写真だけを
写真に収めるのとは全く意味が違う。

綺麗なものがあるから撮るのではなくて、
写真に残しておきたいから撮る
という逆の発想の方が強かった。

純粋に綺麗だなとか、
またこの場所に来たいとか、
自分がいま体感している心地よさや、
思い出を何年経っても忘れたくないとき、
そんなときに、私は写真を撮っていた。

だから最初から意味を持って写真を撮ることは、
今でもあまり得意ではない。
言葉や文字だけが先走り、うまく写真が写せない。
写真学科のある専門学校も一応出たが、
テーマや課題に沿って写真を撮ってきなさい
というような課題は、正直好きではなかった。

写真の好きなところは、
写真を振り返って見た時に、
その時の空気感や、
そこにいた情景や感情を思い出せることだ。
良いことも悪いことも。

わたしは、音楽にも同じだけの力があると思う。
経験したことや幼い頃に体験したこととか、
その時に撮った写真や聴いていた音楽を含め
似ている光や空気を
見たとき、感じたとき、
昔のそのときの感情が
フラッシュバックすることがある。
もちろん戻ることはできないけれど、
あぁ懐かしいな、戻りたいな、もう全部辞めて実家帰りたいなとか思うことが多々ある。

東京で一人暮らしを始めても、
日頃の生活の中で、そういう瞬間に出会ったとき
横須賀にいたときの楽しかったことや
幸せだった瞬間、落ち着く環境に、
時折、戻りたいと思ってしまうことが
ものすごく頻繁にある。
文字に書き起こすことが難しいけれど、
こんな非現実的なことを常日頃考えてしまう。
わたしは強くなんてなくて、むしろ弱いほう。
どこかで逃げ道を探していることがある。

本題に入ると、カメラマンという職は、
夢でも理想でも、なんでもなかったかもしれない。
どんなことも、好きなことで食べていくなんてことは、相当難しい。
写真作家を除いて、
カメラマンが仕事をもらうということは
理想の完成形を
撮影する前にデザイナーに見せられて、
こういうものを撮ってくださいというのが
ほとんどだ。
仕事をするということは、そういうことだ。
どんな仕事でも殆どがそうだろう。
ただ頼まれた写真を撮る人にはなりたくないが、
お金をもらう以上、やるだけのことはしなくてはならない。

写真で食べていくとは決めたものの、
これは、相当なトレーニングが必要だと思う。
これまで私が撮ってきたものとは訳が違う。

それに私は、これまで本当に芸能人に興味が無く
そういうことには、疎かった。
テレビは見るけど興味がないから
名前が覚えられなかった。

カメラマンという響きは良いけれど、
やりたくないこともやらなきゃいけないし
仕事は、そもそも簡単にもらえるものではない。
それにカメラマンとして、
世間に名前が出るということは、
世に出た写真だけで、何百人、何千人という
世間から自分の知らないところでも、
評価され続けるのだ。
それなりに成果を残さなくてはならないから
曖昧な考えではできないことは確かだ。

昔は機材も重く、カメラはフィルムで
今の時代のように撮ったものを
パソコンで展開して
すぐにダメなところを直して再撮なんて、
甘ったれたことはできない。
そもそも失敗なんて許されないから
カメラマンになれる人は本当にひと握りだった。
でも今や機材も軽く、カメラはデジタルで、
3歳でもシャッターを押せば撮れる時代
誰もが目指せばそこそこになれる時代だからこそ、
わたしが選んだ道で 生き抜くことは簡単ではない。
ライバルが多すぎる。
現に、SNSから有名になり、
私なんかよりも若くて、写真で仕事をもらって
稼いでいる人がゴロゴロいることは事実。

それでも写真に執着する意味を、
わたしはアシスタントを1年半やった今も、
見い出せていない。
曖昧な気持ちのままここまでやってきたのか、
と言われると、そういう訳でもない。
それなりにアシスタントは大変で、
総重量100キロ以上の機材を
ひとりで積み下ろしすることも多々あるし、
師匠に怒られてカメラで叩かれることもあるし、
カメラを投げられることもある。
つらくて辞めたくなることは今でもある。
この時代にしては、大変な職だ。
しかし、これが自分が選んだ道だ。

それでも続けなければならないのは、
わたしを応援してくれている
いろんな人のことを想うと、辞めることはできない。
このままカメラマンになることを辞めたら
どんなに楽かってことは想像するけど、
この夢はどんな形になっても叶えるべきだという
強い思いだけはある。
なによりも、生前父と約束したことで
自分の人生は一度きりだから。

わたしがどんな道に進もうと、
父は応援してくれるような人だけど
わたしは父と約束した。
父との最後のLINEのやり取りは、
お前もがんばれよっていう文章だった。

わたしが仕事として写真を撮る意味は、
本当にカメラマンになったら分かると思う。
だから、続けることに意味があると信じている。
自分との戦いに負けずに
分かるときが来るまでは、続けようと思う。

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