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メンタルの強さ;コミュニケーションとは何か

優れた監督はどんなに個の能力が高くても和を乱す人間、チームに貢献しない人間は容赦無く外していく。そして技術やフィジカルのコンディションのみならず、メンタルのそれをチーム全体に浸透させる人間の存在がいかに重要か、日本代表と列強との違いを見ていればわかるところだとは思う。

ジーコは危険なファールの多い戸田を1度しか代表に招集することはなかったし、既にピークを過ぎていたが、レギュラーに定着できず自分を登用しなかったことで批判を繰り返したヴェアンスをクリンスマンを外したし、2010でドリブルにこだわってチームへの貢献の頭がなかった香川を岡田監督は外して、20前後の頃はあれだけ技術にこだわっていたがフランスで削り合いの中でのハードワークを叩き込まれた松井をいれた。今大会のデシャンは練習をサボるデンベレをまず使おうとしない。

「やりたいこと」しかやらない人間・勝利さえできれば人間性はどうでも良いと言う態度の愚は、残念ながら南米のチームが軒並み敗退していることが証明している。ブラジルを筆頭に南米のチームは調子が上がっていて優勢の時は問題ないが、敗退が濃厚になってくると途端にラフプレーが多くなり、カードを乱発したり荒れた試合展開にしてどうでもいいことに時間を費やしてしまう。カードが出ないよう、味方を擁護することは重要だが、負けてる局面で精神を乱しファールを乱発してはいちいち時間を使っていること自体が無意味で、対戦相手はもちろんのこと、チームのことも考えていない。

勝てばいいと言うその発想は組織の完成度を大幅に低下させ、さらには単調なサッカーを生み出す。南米のチームが軒並み中盤が弱くbuildupがつまらないのはそう言うこと。前線の選手は問題ない。ラインも最低限テクニックと体格で防ぐこともできている。

でもそこには知性がない。ここで言う知性とは、かつてジーコが使っていた言葉で、知性は才能であって、ゲームを支配する展開能力のことであり、これを付与することはできないと伝えていた。要するに今の南米のチームは軒並み中盤でゲームを支配することもできなければ(ジーコの時代のブラジル代表=黄金のカルテットは全く違った)、自分を律することもできないと言う意味で頭が悪い。

日本代表の場合はどうだったのかといえば、勝つための技術力は十分あったとは思う。しかしやはり足元が弱くまだまだ列強には勝てない(岡田監督曰く、2010当時は足元の技術が弱く中距離パスの精度が全く上がらなかった。今も大きな差はないように思える。もし短中距離の精度が高ければ中央でつないで切り裂けたはず)。そして何よりメンタルが弱い。チーム全体が技術的な視点だけではなく、メンタル面のコンディションを互いに把握した上で適切にシンクロすることができない。98年の日本代表はファンタジーがあったけれども、松井によればチームはバラバラだったという。勝てないのも当然かと思われた。

これは日頃から互いをよく理解して、深いレベルでポジティブに干渉し合うことで感情の起伏を整えることができない、と言うことを意味してる。そしてこれはサッカーに限らず日本人全般が非常に苦手としていることだと言うのは、今回のwcupを見ていて各国のスタイルやピッチ上での態度がいかに千差万別かで認めざるを得ないと感じる人は多いことだろう。

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