哲学にハマったカエル、悪について語る

クラウス君たちが住むあたりも新緑の萌える季節になりました。水辺では菖蒲や杜若が花を咲かせています。そんな5月のある日、菖蒲の花びらに腰掛けて、クラウス君はチャーリー君と話し込んでいました。

「「悪」とはなんだろうね?人は最初から悪なんだろうか?性善説、性悪説ってよくいうけれども、本来、人は両方を持っているんじゃないかな?」

チャーリー君は全くだという顔でうなずき、クラウス君は続けます。

「でも、何が「悪」を「悪」たらしめているんだろう?例えば、戦争中の行為。人を殺すことは日常では悪なのに、戦場では善、いやそういう認識がなくとも、少なくとも悪ではないようだよ。神様がいるとしたならば、なぜこの世に悪があるんだろう?神様は悪も作ったのかな?ならば、悪は神様のうちにあることになる。」

「そんなのってあるかなぁ?だって、クラウス君の今の話じゃ、神様は悪でもあるってことだろう?神様は完全に善いものなんじゃないの?」

そこで二人はしばらく神様について語り合いましたが、なかなか難しい問題だということに気がつき、この話は今度ヨハン君と一緒に、亀のじい様に聞きに行こう!ということで落ち着きました。それゆえ、話はまた悪について戻ります。長生きしている分、クラウス君より人間界についてよく知っているチャーリー君が

「ヒトラーやスターリンがやったことは今の僕らからしてみれば紛うことなき悪だ。でも、当時の人にとってはどうだったのだろう?とくにヒトラーやスターリンのやったことについて賛成していた人、恩恵を受けていた人にとって・・・何より本人に悪の意識はあったのかな?」

とクラウス君の知らない人の名前を出してきました。「ヒトラーやスターリンって誰?」と質問したところ、チャーリー君にしてはそっけなく「昔、たくさん人を殺した人さ」と答えました。どうも、悪について、チャーリー君は真剣に考えているようです。普段のチャーリー君は考えずにしゃべっているように思えるのですが、今日は考えながらしゃべっているという様子なのです。何れにしても、チャーリー君は話し始めるのノンストップ、止まりません。「というかさ、悪とは時代によって変わるものなんだろうか?でも、善悪というのは出したり引っ込めたりできるものじゃないと思うんだよな・・・」

「そんな馬鹿な!悪いことは悪いよ。」クラウス君は思わず口をはさみました。

「でも、悪というのは「悪」という言葉でしか表現できないんだ。だから問題なんだよ。人のうちの中に普遍的な悪の概念があるんだろうか?」チャーリー君はしばし考え込んで、続けました。「言葉というのはそれだけで何かを表せるんだ。悪はさわれるものじゃない。だからこそ、悪の概念が時代によって揺らぐのかもしれないな。」

触れないからこそ概念が揺らぐというのは、クラウス君にもなんとなく分かりますが、しかし納得はできません。善いことはよく悪いことはわるいはずだ、と思っているからです。そこで、「でも、人を殺してはいけないということは、どの時代も共通して基本的には悪だと思われているんじゃないかな?」とチャーリー君に反論してみました。

「むしろ、悪という言葉があるから悪があるのかもしれないな・・・言葉ってのは不思議だねぇ!人を傷つけることもできる。言った途端に悪なんてものが実際にあるかのように聞こえる。昔の人は言霊だなんて言っていたけれども、言葉そのものが術のようなものかもしれないね。どうして僕らは言葉を獲得したのやら。」

チャーリー君はクラウス君の反論に真正面からは答えず、遠い目をして呟きました。

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