私がKindleより紙派な訳

私は三姉妹の長女なのだが、あまり本を読んでいる姿をみたことがない父(父の名誉のために補足しておくが、そもそも父自体見かけることが少なかったのである。この説明じゃ、ますます父の尊厳に関わるかもしれないが。)はさておき、読書家の母と私が紙派、2歳&7歳離れた妹たちがKindle派である。この紙とKindleの間、これは世代の問題かと思わなくもないが、一番下の妹の旦那さんは紙派のようなので、単に年齢の違いが嗜好の違いというわけでもなさそうである。大体私とすぐ下の妹は2歳しか違わないのだ。一体どこに線引きがあるのか、考えてみた。そこで出た結論。多分それは「経験」なのだ。

「経験ってそりゃ当たり前じゃん。」と思われるかもしれないが、この経験は単に「紙の本を読んでいたか」だけではない。一番下の妹は「Kindleでもいい・・・あの子が本を読むなんて!」と一時期本気で思ったほどに本を読まない子だったが、真ん中の妹は人並みに読んでいた。が、今ではりっぱなKindle派である。重いのが嫌だとか、場所をとるとか、そういう理由もあってKindleなのだろうが、私はそういうデメリットを許容して紙派である。私が特別忍耐強いということはない。となると、単に「紙の本で読んだ経験」では足りない。

そこで、さらに考えてみたところ、「単行本を読んだ経験」に差があるのだと気が付いた。妹は文庫本派だったのだ。文庫本は京極夏彦みたいに極端なものは除いて(逆にあれはあの厚さで文庫本であることに意味がある。出版社も読者も(ブックカバーも)、一緒に限界に挑戦している。そこに意義があるのだ、多分。)、厚さもそこまで大きく差はないし、1ページのレイアウトも似たようなものだ。図画が入ることもなくはないが、割合としては少なかろう。つまり、非常にKindleぽい。

私は常々Kindleを気に入らないと思っているのだが、それは松岡正剛の言う通り、本の重み、本の肌触り、本のデザインだったり、自分の本ならば書き込みやポストイット、そういうのを込みで、本と、本を読むことに対して愛着を持っているからなのだと思う。

改めて言明しておくが、ぼくは現行の電子書籍リーダーなので本を読みたいと一度も思ってこなかった。断然格段の「リアル本」派なのだ。これは五十年間、まったく変わらない。松岡正剛は紙フェチ、見開きフェチ、文字フェチなのである。視覚的フォーマットや触感のリズムこそが「知の快楽」をダイナミックにしていくものだと信じてきた。(中略)
ところが電子書籍では表紙のメッセージはなくなっているし、レイアウトや索引は捨てられている。帯もなくなっている。部品はアマゾンやグーグルが用意した画一的なものだけだ。(松岡正剛「千夜千冊エディション 本から本へ」P372)

正直、帯はどんどんずれてくるし、捨てようか捨てまいか悩むのであまり好きではないが、それ以外の部分はその通りとしか言いようがない。今回のテーマにドンピシャだが「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」、これはエーコがフランスの作家と語り合った内容を一冊にまとめたものだが(内容的にはどちかといえば、希少本の収集などに重点がよっているが、それでも最初の「紙というメディアは新しい規格が次々と出るメディアよりも長持ちしている」というのは面白かった。確かに、フロッピーに保存された20年前に留学先で書いた私の手紙はもう誰も読めないのだ。誰かが印刷していない限り。)、「黒っぽい分厚い本で、なぜか天・小口・地の部分が青く染められていた。ページに対して文字の割合が小さい」と言うのがとにかく印象的で、「エーコの本についての本」というだけで、頭の中で思い出せる。ジャン・パウルの「巨人」は、マーラーの交響曲経由で購入したが、あの本を読みながら寝落ちした時は、(落とした重みで)鼻の骨が折れたかと思った。私はそういう経験が愛おしいのだ。

もちろん、私だって文庫も読むし、新書も読む。だが、それ以外の本も読む。だからこそ、画一的でどんな本も同じ物理的な重さしかないKindleに耐えられない。だって、あなた、「男子にモテる♡技術」と「ヘーゲルの精神現象学」が全く重さでいいんですか?「岩波で読んだら大した重さじゃなかろう」と言われるかもしれないが、「岩波には岩波の存在」がある。あの表紙から岩波というコンンテンツというか意味を受け取っているのだ。そういう意味では、Kindleから岩波の存在を感じることはできない。だって、「男子にモテる♡技術」も同じKindleの中にいるんだもの。

結局、私がKindleを気に入らない理由はそこにある。中身は全然違うはずなのに、同じ見た目なのが気持ち悪い。もしくは「同じ見た目だから中身も同じではないか」と、自分が勘違いしてしまいそうになる恐怖なのかもしれない。いずれにしても「本を読むときの状況や体感したこととも結びついて、コンテンツを理解する」、それが私の読書である以上、その本に印刷されている内容しかないKindleは私の趣味ではない。

さて、我が家の読書人である母がKindleを好まない理由は、直接聞いたことがないので不明である。ただ、おそらく「老眼で読みづらい」と言ってきそうな予感はある。

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