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別れたあとに友達になりたいと思う気持ちは悪なのか。

2年前、付き合っていた人がいた。
今は、どこで何をしているのか分からない。

その当時の、今よりももっともっと未熟な僕が、本気で愛した人でもある。
2年経った今なら、あの当時の自分にもっと伝えられることもあるかもしれないけど、お別れした当初は後悔を感じなかった。それだけ、真剣に向き合った相手だった。

一緒に住もうとか、結婚したらこんな感じの家庭がいいよね、とか
学生の身分で(彼女は先に社会人になっていた)必死に未来について考えていた。

でも結局、人生運だ。
2人という閉じた関係以外に、いろんな要因がその関係性に影響を与えてくる。
結局僕らはさよならをした。



別れたあと、僕は彼女と友達になりたかった。
せっかく人生の一部を一緒に過ごしたのだから、関係性が完全に終わるのなんて、とても悲しかった。

別れようがなんだろうが、僕の彼女に対する愛は(もちろん量の上下はあるが)変わらない。
ここで言っている愛というのは、恋人についてだけ持つものではなくて
配慮とか、心配とか、気遣いとか、そういう類のものに近くて
親に対しても、友達に対しても、見知らぬおっさんにも持つことができるものだ。

だからこそ、もちろんパートナーとしての関わり方はできなくなるが、信頼できる友達として、たまにご飯でも行きたかった。

しかし、その思想いは実現していない。


彼女にも色々な感情があり、友達とかどうでもよく
僕のことは忘れたい記憶の一部だったんだろうと思う。
「友達になりたかった」という僕の価値観を彼女に押し付けて、彼女を否定するつもりは全くない。

それで彼女が幸せでいられるのなら、いっときを共にしたパートナーとして
僕は嬉しい。
別れてもなお、元パートナーの幸せを静かに願うことは、時には誤解を生んでしまうかもしれない。

「まだ未練があるのか」
「ストーカーなの?」

そんな声をかけてくる人たちもいる。
でも、前回の記事でも書いたように、人間関係なんていろんな形がある。
彼女、妻、セフレ、みたいに綺麗に言葉でくくれない関係もたくさんある。
付き合う前の友達関係と、別れたあとの友達関係は全く違うものなんだから
その2つをそれぞれ表す、新しい言葉が生まれてもいいくらいだと、僕は思う。

僕が元パートナーに持っている感情は、未練なんていう言葉ではくくれないものだ。
別にやり直したいと思っているわけじゃない。
そういうパターン化された関係性・愛から離れて、生命として
向こうがどう思おうが、一定の気持ちを向け続けている。

もちろん、向こうの都合があるから、LINEも送らない(別れてからほぼしていない)。
ただもし仮に彼女が今の僕に何かしらの支援を要請してきたのなら
僕はきっと話を聞くだろう。


繰り返しになるけれども、人の関係はグラデーションだ。
別れたら全てが0になる、と考えている限り、そこから先の関わりは全て
「未練」がベースになっている、と考えられてしまう。

別れようと何だろうと、僕と相手はそこにいる。
だからこそ、周囲がどう思おうが、僕らが納得しているのなら
友達になってもいいし、セフレになったっていいわけだ。


全てが、「未練」・「女々しい」という言葉で括られて破棄されていくのはとっても悲しい。もちろん片方が望まないならば、そこで関係が完全に終わってしまうかもしれない。
けどそれもその時間軸の中での話であって、5年後にはどこかでまた酒でも酌み交わしているかもしれない。


別れた後にもいろんな関係性があって良いはずだし
そういう多様さに、もっといろんな人が目を背けず、口出しせず、いられたら少しは何か、変わっていくだろう。



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