7人の侍とアクト・オブ・キリング


感想を書こう書こうと思って引き伸ばしていたら当日になってしまった。どちらの映画も課題映画になる前に鑑賞したことがあったのだが、ピント来なかった。7人の侍に関しては途中で挫折したので正確には観たうちに入らない。なんでこの映画が課題映画なのだろう。

そんなときに一通の通知が。

このふたつはどちらも演技、チーム、貧困、虐殺の物語です。歴史的名作で、重要度の割には見られていません。こうした「いろんな人の語り」を誘発する古典を軸に語り合うというのがスラムであり、本イベントの趣旨です。

伊予柑さん

なるほど。
こういう軸で観ればいいのか。なんとかそれっぽい感想をしたためてかみなに行くぞ。



6時過ぎ。どちらも見終わった。

超ざっくり言うと7人の侍が戦争の映画で、アクト・オブ・キリングが戦争が終わった後の映画。普段、青春群像劇ばかり観て感傷に浸っている自分にとっては、どちらも難易度が高かった。

演技について

7人の侍
農民は農民の、武士は武士の運命を持って生まれる。この作品にも「農民出身の武士」も登場するので一概には言えないだろうが、まず農民の子は農民である。農民はどこにも行けず、逃げられない。「野武士が落ち着くまでしばらく家空けるわ」とはならないのだ。農民が農民以外であることはなく、農民を演じ続けなければならない。

私は大学生であり、居酒屋のバイトスタッフであり、今日は東京駅をふらついてるチャンネーである。「佐藤」ではあるけれどそれぞれで違う顔を持っている。開示する自己をコントロールできる。どこにでも行ける。将来の選択肢の多さが辛いときもあるけれど、自分次第でどんな自分にもなれる。そういう時代だからと言ってしまえばそれまでだし良い解釈かわからないが農民の閉塞感が強く心に残った。

アクト・オブ・キリング
かつての「プレマン」が殺すことを演じてる。結果的に認知行動療法になってた。演じることによって彼ら(少なくともアンワル・コンゴは)は罪の意識と初めて向き合う。もちろん残忍で許されることではないが、さしてやり直しがきかないであろう老人が罪に苦しむ様子は救いがなく、こちらも辛くなった。


チームについて

7人の侍
7人の侍はそれぞれ役割を持っている。
リーダーの勘兵衛、サブリーダーの五郎兵衛、忠実な七郎次、職人気質の長久藏(目の上の傷がかっこいい)、荒くれ者の菊千代、あとはムードメーカーの平八、新人の勝四郎。仲間がだんだんそろっていく様子は全てのRPGゲーム(仲間集めゲーム)の元ネタを見ているような気持になった。彼らでないと成立しえないお話であっただろう。「7人の侍は社会の縮図」みたいなことを結構言われていて、自分ならどこだろうと考えた。来年から新卒であることだけを見れば勝四郎だし、発達障害を隠し面白いから、という理由で採用されたはいいもののすぐ死んでしまいそうなところをとれば平八だろうか。

アクト・オブ・キリング
チーム プレマン。自由人。やくざ・民兵集団。共産主義者殺し。


貧困について

7人の侍
貧困が前提にある戦争。野武士が発生したのも関係しているだろう。だから武士の報酬もお米だけ。農民はひえを食べており、顔色が悪くやせ細っている。(色々隠し持っているのも事実であろうが)。今時の戦争映画は役者は「ガリガリに見えるメイク」だけど、農民役の役者は本当に健康状態が悪そうですごかった。

アクト・オブ・キリング
プレマンの豊かな生活はその他市民から搾取することで成り立っている。


虐殺について

7人の侍
武士→野武士の殺人と、農民→落武者の2つの殺人が描かれている。これは虐殺だったのだろうか。時代の中で仕方なかったようにも思う。自分たちを頼りにしている農民の二面性に気づく武士たちの葛藤が面白かった。

アクト・オブ・キリング
めっちゃめちゃ虐殺してた。


うーーん。どうしようもない感じですが、これが私の感想なので仕方がないです。

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