人生の二つの後悔。その一つは、友人の死の前後の自分の振る舞い。

自分は「意志の弱さ・勇気の無さ」によって、機会や能力的には可能だったことを見過ごしてしまうというタイプの失敗をすごく嫌う人間だった。

それゆえに、過剰にやり過ぎたり暴走したりして後悔する、というパターンがとても多い。「失敗したな」「やらなければよかった」と思うことは山ほどあるし、恥の多い人生を歩んできたと思っている。

でもこのパターンの失敗は「やり切った感」があるからか、あまり尾を引かない。試行錯誤の一部、という感じで、それを避けて進むこと自体が不可能だったという感覚になる。ただ、トラウマにはなる。罪悪感はある。でもそれは「後悔」とは違う。


後悔していることが二つある。その一つ目は文章の書き方と心身の健康について

いまこのタイミングで、後悔していることを考えたときにさっと二つ思い浮かんだ。

一つは、病みすぎているときにネットで文章を書いていて、傷つけなくてもいい人を無駄に傷つけていたこと(そういうつもりじゃなかったけど、そう受け取られた)。でも確かに無駄に偉そうな物言いにもなっていたこと。そのことに後で気がついたこと。そういう自分があまりにも気持ち悪かったこと。向こうはもう忘れていると思うけど、自分だけがまだ留まり続けている。

この後悔の一番の原因は、もちろん心身の健康が大切なんだけど、言語表現としての原因は「評価」がはらむ暴力性への認識の欠如だったと思っている。心理学だとアドラーとかも言っているけど、肯定的・否定的にかかわらずに、評価というのは暴力性のあるものだ。


でもその暴力性も扱い方次第で、みんなが思ってるけど言えなかったり、言語化することが難しい本音で鋭くぶっ刺しに行く、みたいなことが出来てたら痛快だし、偉そうでもその方向性で突き抜ければそういうキャラみたいになって面白さが生まれる。

暴力性をただ抑えるだけじゃいつか爆発するだけ。それかじょじょに漏れ出して嫌味な人間になる。現実の人間はそんなにクリーンでも強くもない。

しかし暴力性もうまく扱えれば武器になる。殴り合いの喧嘩も鍛え上げればボクシングという興行になる。口喧嘩も鍛え上げればラップという音楽になる。


自分の場合はただ技術不足で中途半端だったな、と思う。下手くそは克明な言葉で表現できないから、ぶっ刺しに行けないから、ふわっとした月並みの言葉やきれいごとでわかったふりをして中立を気取る。それって何も言えてない、何もわかってないってことだ。これをやると妙に嫌味で偉そうになるんだよな。

でも最初は皆そんなもんだし、自虐とか謙遜ってあんまり好きじゃないな。とくに謙遜する人が多すぎて、うまくやらないと嫌に見える。自信の無さや弱さの表れでしかないように見える。謙遜したふりで、本当にやっているのは「謙遜もできる懐の広い自分アピール」みたいになってたらめちゃくちゃ気持ち悪いな。自分自身も心当たりあるけど。

(このケースに限らず、表の意味に対して裏の意味が強いと、だいたい気持ち悪くなると思う。つまりはフェイク・偽物)

こういう気持ちは、何か新しいことを始めようとしている人や、つまずいている人を(ささやかに・おしつけがましくなく)応援するためのことに変えていきたい。自分を断罪することは他人を断罪することにつながっていく。これも心当たりがあるけど。


タイトルでも書いた、二つ目の「後悔」

今回の本題でもある後悔の二つ目は、長い付き合いの友人が自殺した前後の自分の振る舞いだ。

前置きとして、そのときの自分とその友人を含めて周囲の人間関係は、もつれにもつれた因果の最終局面、現世と冥界の狭間のような、壊れた人々がお互いに血で血を洗う戦いをし、そしてそれを癒そうとするための行動も同じ壊れた人々の間で行われている、というもう地獄絵図みたいな状況だった。込み入ったドラマ・群像劇の最終回間近、という感じ。

暴力性・依存性・排他性・承認欲求・自信の無さ・不安・憎しみみたいなものがどろどろに溶けて、煮詰められて混沌としているジャムのようなものだった。そのジャムは麻薬のような味がした。強い常習性があった。しかし満たされることはなかった。


また、漫画「スラムダンク」の試合では、5人のメンバーがそれぞれの意志と強さをもって戦う様子が濃密に描かれているが、ちょうどそれをネガティブな方面に裏返しにしたような感じだ。それぞれの自信の無さと弱さをもつれさせていた。

例え話ばっかりだけど、あまりにも複雑に業が絡み合い過ぎて、うまく整理して語ることがまだ出来そうにない。なるべく正確に写し取ろうと思えば、かなりの長編になりそう。一つ前の親世代から書きたくなる。


こりずに最後の一つの例え話をすると、砂漠の遭難者たちが、その中の誰一人として水を持っていないのに、水を奪い取るために争っているような感じだった。生死の境、極限状態に近い状況だったので、それを俯瞰することが誰にもできなかった。


そして、友人の自殺の原因はその人間関係とはたぶんあまり関係がない。

さらに一つ外側の周囲の世界も含めて壊れていた。壊れた小宇宙どうしが交わり合い、さらに大きな壊れた小宇宙を形成していた。あらゆる調和が崩れ、壊れていることが当たり前となっていたので、正常が異常で、異常が正常だった。

「正常」とは、その場における多数派であるという意味でしかないということがよく理解できた。どんなに不健康で狂気に満ちていても多数を占めたらそれが「正常」となる。なら自分はどこへ行っても異常者でありたい。


こういう「壊れた小宇宙」は、いまも日本中で増え続けているような気がしている。知らんけど(たぶん外面だけは悪くないように繕われている)。


そしてそういう状況で、最も前向きさや堅実さを持っているように見えた数少ない人間、件の友人が突然自殺した。

かなり意外だった。そんな素振りが全く見えなかった。自分も余裕はなかったけど(ほとんど常に調子が悪い・余裕がない状態で生きてきたので、普通の人に比べてパフォーマンスが比較的落ちにくいタイプ。分野にもよるけど)、それでもそういう心理的なものにはかなり敏感なほうだと思っていたが全く気が付かなかった。

たぶん隠すのが相当うまくて、そこにエネルギーを使っていて、その能力が悪い方に作用してしまったのかもしれない、と思った。


この気づけなかった・何もできなかったというのが二つ目の「後悔」の半分。恐ろしいことにまだ後半がある。その後のお葬式の話。


二つ目の「後悔」の後ろ半分

その人間関係のグループがお葬式に出席する上で、簡単な段取りが必要になった。それは長い時間がかかるものでもなく、大変なことでもなかった。健康な大人だったら、なんなくこなせることだった。

しかし、当時のその小宇宙の中で、それをこなせる人間が一人たりともいなかった。壊れた人間と不誠実な人間しかその場にはいなかった。自分たちは「残された者」ではなく、同じく「向こう側に行く手前」の人間の集まりだったからだ。


なので、自分もうまくできないかもしれないけど、他の人はもっとできないだろうなと思って自分でその簡単な段取りをやることにした。

しかしそれは「意地」でしかなく、実行力がなかった。


結果として、かなり不備の多い不誠実な対応となってしまい、ご遺族の方々には迷惑をかけてしまった。デリケートな時期に不快な思いもさせたと思う。

これが二つ目の「後悔」の後ろ半分。


そして、その自分の「意地」が誰にも理解されることがなく、ただ自分だけがその小宇宙の中で糾弾された。

何でこんな簡単なこともできなかったの?」「何でそんなに怒っているのかが全く分からない

こういう類の言葉が、氷の弾丸のように胸に打ち込まれていった。


何度協力を求めても君たちは一切手を貸さなかったじゃないか、と抗弁したが、その言葉の意味もよく通じていない様子だった。


ここが自分にとっての終着駅だった。この列車はまだどこか知らないところへと向かっていくのかもしれないけど、途中下車することにした。


その人間関係、壊れた小宇宙から離脱し、縁を切った。


その後、一人を除いて、誰とも一切連絡を取っていない。向こうからの電話はすべて無視した。


関係を残した一人は、世間的には一番理解不能な人間に見られていたかもしれないけど、自分にとっては一番話の通じる人間だった。

自分にも悪い面が山ほどあるし(被害者性と加害者性が複雑に入り混じっていてもう整理がつかない)、総合的に考えて(悪い意味で濃い数年間の内実を勘案した)その一人とは縁を切るほどではないと思ったので、2年位経ってこちらから連絡した。

その一人の友人とは、今でもたまに会うことがある。


途中下車」しなければ、自分が死ぬか、誰かを殺してしまっていたと思う。この件の影響だけじゃないけど(巻き込まれやすい・巻き込みやすいタイプなので、地獄的なエピソードがほかにもまだある)、自分なりの試行錯誤や苦しみを馬鹿にする人間が、死ぬほど嫌いだ。こういう修羅場をくぐっていない人間、単なる外野には絶対に理解できないと思う。別に理解されたいと思っていないので、わざわざ聞いてこないでくれよ。簡潔でわかりやすい話にはならないから。

また、共通点のある立場の他人が馬鹿にされているのを見るのも嫌だ。自分なりの答えを探して挑戦している勇者には強くエールを送りたい。勇者は赤面した(てきとうな結び)。


――あなたの周りにも「壊れた小宇宙」が存在しているかもしれません。あるいはもう、巻き込まれ始めているかもしれません……。

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