寂しさについて

 寂しさについてのお話をします。
 スマートフォンを覗き込んでいる人はおおむね寂しい人である。
 画面を通したSNSの向こう側、同じ趣味の話題で人と分かり合えたその刹那の喜びを求めて、再びスマートフォンを覗き込む。
 スマートフォンのこちら側でそれが満たされることはまずあり得ないと経験で知っている。
 大人になればもっと沢山のお金を好きに使えて、趣味を自由にできると思って大きくなったけど、そうなってみれば、その話を身の回りの人にできないという現実に突き当たる。
 スマートフォンのこちら側でその寂しさが満たされることはない。
 SNSさえなければ、永遠にこの気持ちは共有されまいと諦めながら死ねたものを。
 時代によって生み出された新しい渇望である。

 ならば寂しさで人とつながり合うというのは、正当な欲求と言える。
 人付き合いの悪さ、日々の生きづらさからくるネガティブな感情表現は、同じ寂しさを抱える同士を見つけるサインにもなる。
 自己アピールはポジティブであるべしとされていたが、時代によって多様性が増した。
 ネガティブな感情や寂しさで人と人は繋がれる。
 後ろめたさを感じる必要はもうない。

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