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第一章:高校卒業~ 初めての夢を見つけるまで 【 波瀾万丈な半生を歩んで、人生折り返し地点でようやく立ち上がるまでのお話 】

KINGです。おはこんばんちは。(今思えば、便利な用語だねw)

さて、日記のように毎日書いていく癖を付けないと きっと続かないので、
続きを書きますね。
どうぞ駄文にお付き合いくださいませ。



◆ 大学進学!

序章にて触れた通り、大学には推薦で進学しました。
初めて地元を離れ、初めての一人暮らし。
とは言え、読売新聞の奨学金制度を利用させてもらってたので、
新聞配達する事業所内の一室を住居として住まわせてもらってる感じで、
完全な一人暮らしでもなかったんですが。

平日の日中は当然大学に通い勉学に励み(…うん、励んでた!)、
それと並行して 月に1日だけの休刊日以外の毎日、
早朝に起きて朝刊の新聞配達(カブで ぶいぶい言わしたった!)、
夕方前には翌朝の朝刊に挟み込むチラシを受け取りに行って持ち帰り、そのままチラシの折り込み作業、
(幸い夕刊の配達はしていないエリアだったので)
自分の時間として利用出来るのは夜のみ。しかも朝が超早いから深夜までは起きていられないので ほんの少しだけ…。
いわゆる一般的な大学生の「キャッキャウフフな思い出」など全くない、
結構ハードな生活を続けてました。

初めて自分で買ったCDが、Mr.Children 4th アルバム【Atomic Heart】。
チラシの折り込み作業中、機械の音に負けない音量でミスチル聞きながら 歌いながら作業するのが、唯一の楽しみでした。

そんな大学生活も数ヶ月を過ごす内に、
『(あれ? 将来なりたいものが明確にあって進学した訳でもない
  この大学に通っている間、ずっとこの生活が続くのか!?)』
『(自分がなりたいもの、目指したいもの、夢…って何だろう?)』
そんなことを感じ始めたんですね。高い入学金を出してくれた、片親でここまで育ててくれた母親の気持ちも考えずに。親不孝者め!!
でも、そう考え始めてしまったら、もう止まらないんですね。
何だろう? やりたいこと、何だろう? 何だろう…???

ふと、本屋で目に入ったのが、デビューというオーディション雑誌でした。
誘われるように手に取り ペラペラとページをめくる内に、ふつふつと湧いてきた思いが確かにありました。

『 役者になりたい!!! 』

初めて、自分の意思で掴んだ、なりたいもの、夢 が出来た瞬間でした。
大学1年の夏のことでした。(大学生活、短いな おいっ!!!)


◆ 大学中退と、俳優養成所へ通う日々

そこからは、もう大学に通い続ける意味を見失ってますので、
中退して早く夢に向かって全力で邁進したい気持ちしかない訳です。高い入学金を出してくれた、片親でここまで育ててくれた母親の気持ちも考えずに。親不孝者め!!(大事なことなので二度目です)
しかも、推薦で入ってるから、自己都合で中退なんてしたら母校の高校にも迷惑を掛けることになるってのに!
でも、気持ちは止まりません。迷惑を掛ける全ての方々へごめんなさいと思いながら、退学届の出し方を教授に聞きに行くのでした。

さすがに、親には真剣に思いを、役者になりたいという想いを伝えねばならない!と、初めて真面目な手紙を親宛に書きました。
手紙が郵送された頃を見計らって電話して、必死で想いを伝えて、
大学を中退することを認めてもらいました。
読売新聞さんにも、そうなったことをお伝えし、とはいえ奨学金制度で学生さんが入れ替わる時期は3~4月にかけてなので と、新聞配達業務は年度終わりまで続けることに。

で、既にオーディション雑誌から応募した中で入所が決まっていたのが、
劇団ひまわりの俳優養成所。東京に本社、大阪に支社があって、自分が通えるのは大阪の方が近いということで、大阪に所属。
週に一度、レッスンのために 福井 ⇔ 大阪 を通い(あ、大学は福井県でした)、それ以外の日は お金を貯めるためのバイトを掛け持つ生活になったのでした。

しかし、夢のためとは言え ハードに働き過ぎたのか、本来一番優先しなければならない新聞配達に寝坊してしまうことが何回か続いてしまって…。
所長に
「もう気持ちがそっちに向かってしまってるのは分かってるし、
 実際 貴方が受け持ってる分ぐらい 3月まで私がやるんでも
 出来んことはないし。
 もう実家帰って、本当にやりたいことのために時間使いなさい」
と、新聞配達は 優しいクビ宣告をいただきました。

そして、進学のために地元を離れた半年後、地元に舞い戻りました。
愛知からはやはり大阪の方が近いので大阪所属のまま、週に一度のレッスンのために 愛知 ⇔ 大阪 を通い、それ以外の日は お金を貯めるためのバイトを掛け持つ生活になったのでした。
お金を貯めている理由は、上京して 東京本社所属になって、本格的に役者として活動していくための資金が必要なためです。

約半年 そんな生活を続けて、ようやく上京資金も貯まり、
俳優養成所に 大阪所属から東京所属への転籍願いを出して、
意気揚々と 20歳の誕生日に上京したのでした!


お次は

で、お会いしましょう。
続きはどうなることやら、、、

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