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「日本に収まる私じゃないから」

高校1年生の夏から2年生の夏までの1年間、アメリカ留学してました!というと、

「高校生で何を考えてたら留学しようと思うの?」と聞かれることがあるのですが

1番強烈に覚えているのが、韓国での出来事。

私が中学2年生の頃、姉が韓国の延世大学に語学留学をしました。ソウルでの入校手続きに母がついて行く事になり私もそれに同行。

姉が住むことになっていた寮のロビーに入ると、衝撃的な光景が目に入った。

白人、黒人、アジア人、いろんな人種の若者がおしゃべりしたり、食事をとったりしてる。

「ここ韓国だよね?!」と、ソウル市内とキャンパス内でのギャップに驚いた。

そしてその衝撃以上に

「私が住むべき世界はここだ」と感じた。体にイナズマが走ったかのようだった。

世界中の人たちと、英語で、彼らの言語で、交流する。いろんな文化を見てみたい。国境を気にすることなく、世界を舞台に何かを成し遂げたい。

九州の田舎で育った私にとって大きくて眩しいほどの憧れが、その時凄まじいエネルギーとともに生まれた。まさに爆発的誕生。

帰国後すぐに本屋さんで「留学ジャーナル」っていう雑誌を買って、あれこれ考えた。

どんな留学があるのか。
どこに行くのか。
いつ行くのか。
大学受験はどうなる?
留学に行けるような英語力はあるか。
費用はどうするか。

あの頃の私に「大学まで待って、大学在学中に留学する」という選択は出来なかった。そんな忍耐力ないし、今すぐにでも日本を飛び出したかった。

中学3年の秋、その気持ちがやっぱり消えなくて、英語の先生に「留学したいんですけどどうしたらいいですか?」って聞きにいった。

先生は私を職員室に呼び、ありったけの高校留学に関する資料を渡してくれた。

異文化交流がしたかったから私費留学よりも公立高校に通ってホームステイもできる世紀交換留学を希望。

パンフレットに記載されていた留学は5ヶ月のプログラムか、10ヶ月プログラム。せっかく行くなら長く行きたいから後者に即決。

だとするとプログラムがある国はアメリカかカナダ。アメリカの方がより優れた語学力を要する。費用もアメリカの方がカナダに比べて50万円高い。

だけど、どうしてもアメリカに行きたい。アメリカの高校生になってみたい。

チアリーダーになって、ユニフォームで学校に通いたいし、リュックを肩にかけて大きな教科書を抱きかかえるようにして廊下を歩きたい。

ハンナモンタナの世界を生きてみたい。

心の中にメラメラするものを感じた。

絶対にこの夢を叶えてみせる。

その頃ちょうど卒業研究レポートを書いていたんだけど、テーマは「西海岸の女の子のライフスタイル」にした。

私の1番の憧れであり、とにかく夢中だった。

「この小さな街におさまるような私じゃない。」

大きくてカラフルな夢を描いた15歳。


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