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文章の個性と、ライターの個性と。

会社員時代、ある先輩にこんなことを言われた。

私の取材記事は「一見誰が書いたのかわかりにくい記事」だと。

いつものように、社内で記事のフィードバックを受けていた時の出来事だ。当時の私は予想外の言葉をかけられ、ぽかんとした顔をしてしまった。

先輩は続けて「例えば〇〇ちゃん(別のライターさん)の文章には優しい雰囲気があって、『あ、これ〇〇ちゃんが書いた記事だ』ってわかるんだよね」と言う。それには同感なのだけれど、誰が書いたかわからないことの何がいけないのか、そもそも何が言いたいのかが理解できない。そして先輩も、詳しくは説明しない。どこか腑に落ちないまま、会話は終わってしまった。


文章の個性とは何か。

フリーランスになり、さまざまな世界を覗き見るようになった今は少しだけわかる気がする。それは、単なる読みやすさやわかりやすさとは別次元のもの。ライター独自の切り口・語り口で綴られた言葉から滲み出る色気のようなものだと思う。実際、著名なコラムニストや時代の先端を走るジャーナリストの文章にはその人ならではの知見や世界観があり、読者は知らず知らずのうちに物語に引き込まれていく。



改めてこの出来事を振り返ると、当時の私は文章の個性を出すことにまったく意識を向けていなかった。そしてあの時、先輩は私に新たな視点を持つ機会を与えてくれたのだと解釈している。

執筆するメディア、記事の目的や方向性、ライター自身の考え方などによって、優先すべきものや大事にするものは違ってくる。かつての私は「取材記事なんだから、取材相手のことをしっかり伝えないと」とクライアントを最優先に考えていた。伝えるべきは、クライアントの理念・特徴・その背景にある思い・独自のエピソード・記事を通して世の中に発信したいこと。だからそこでライターの存在をほのめかす必要はないだろう、と。そんな風に凝り固まった私の思考を、先輩はさりげなくほぐしてくれたのだ。


ただ伝えるだけでは十分ではない。せっかく記事を書いても、読者の印象に残らず、何の感想も持ってもらえなければ、その価値は下がってしまう。「ライターの存在感」は必要なくても「プロとしての工夫」は必要で、テーマの絞り方、話の展開の仕方、取材相手の人柄の表現方法などはライターの腕次第。それで事実と乖離してしまっては本末転倒だが、丁寧に工夫すればするだけ文章にも個性が出て、伝わりやすさも何倍にもなる。


さらに個性が出ることによって、読者だけでなく編集やクライアントからも「このライターはこういう文章も書けるんだな」と思ってもらえる。これが所謂ライターの個性だ。フリーランスになるなら、個性は絶対にあったほうがいい。数多くのライターがいる中で「覚えてもらえる」のはかなり有利に働くだろう。知識やスキルは大前提だが、どんな形であれ、クライアントに存在感を示せるライターはより多くの、より自分に合った仕事に出会えるチャンスに恵まれている。


文章に正解はないし、文章の個性も突き詰めようとすればきりがない。それでも文章の個性と一度向き合ってみたくなり、私はnoteで自由に執筆活動を始めたのだ。気づきを与えてくれた先輩には、本当に感謝している。

あれから少しは成長できただろうか。願わくば、今の私が書いた記事をぜひ先輩に読んでもらいたい。

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