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自分を生きられなくなったら

なるべく自分が読んだもの、見たもので思ったことを言葉にすることから逃げないで向き合おうと思いますので、記録に残します。

今日は漫画の神様、手塚治虫の「七色いんこ」。

手塚治虫作品は割と読んでいる方だと勝手に思ってしまっているんですが、この作品に関してはこの主人公のビジュアルしか知らなくて、どんな話かは皆目知らず…という恥ずかしい状態でした。

簡単なあらすじとしては、
主人公:七色いんこは、芝居の代役をこなす役者さん。その腕は、聴衆の心を鷲掴みにするほどのもの。しかし、彼に代役をしてもらうには一つ条件がある。それは、会場で起こるあらゆる犯罪は気にしないこと。彼の裏の顔は代役の報酬を会場のお金持ちから盗む泥棒であった。一見ただの芝居バカで金の亡者とも見える彼の行動には信念と理由があって…。

七色いんこは、この画像の状態も変装です。(なんとなく察しはつくかとは思いますが一応説明です。笑)食う時も寝る時も自分の素顔を出すことはない。それもあってか「他人」を生きている、いつも求められた「セリフ」を言っているような感覚にひどくストレスを感じ、幻覚をみるほどに追い込まれたりします。

自分の「素顔」を知ってほしいという思いを人は隠せない。

ぼくもそうだ。自分の素顔を晒す場所がないと感じると人はひどく孤独を感じてしまう。家族の前ではもしかすると素顔なのかもしれないけれど、家族じゃない誰かにこそ自分をわかってほしいと思う気持ちは止められない。

また、逆も然りで自分の素顔がひどく非難されると、自分を生きていることは途端に辛くなる。いっそ他の誰かになりすましてみたくなる。人は追い込まれた時、演技やマネをして自分じゃない誰かになることで自分を守ると言うこともあるのだろう。

ぼく個人としては、最近は素顔で常にいると自分では思っている。それは決して人に弱いところを見せるとかそう言うことではなくて、ありのままを深く見つめなおしたいなと思っているから、あらゆる賛辞も非難も自分に向けられたと思うように意識している。

これは特にどっちがいいとか悪いとかの話ではなくて、仮面も生きていくには確実に必要な場面が生じるの真理だなと思ったと言う話だ。

Twitterも複数アカウントを持つし、インスタも親しい人にしか公開しないコンテンツを投稿したりする。

見せたい自分と見せたくない自分がいるのは当然で、きっとそのことを気に病むことはないんだろうなと改めて思い直した次第だった。

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